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富国強兵を目指す政府にとって不平等条約改正に置いて特に重要な課題2つ
領事裁判権の撤廃
関税自主権の回復
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日本国内を外国人に開放して内地雑居を許す代わりに領事裁判権の撤廃する改正案を出した外務卿
井上馨 かおる
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不平等条約に対する世論の反感が高まる原因となった、1886年に紀伊半島沖でイギリス船が沈没し日本人が全員溺死した事故に対する英国領事の判決で船長の過失が問われなかった事件
ノルマントン号事件
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井上馨の欧化主義政策の象徴となった西洋館
鹿鳴館 ろくめいかん
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米・独・露と改正条約調印を成したがその条件に大審院への外国人判事の任用を認めていたため、政府内外の反発を受け、1889年に襲撃され負傷した外務大臣
大隈重信
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条約改正の最難関であったイギリスがロシアのアジア進出を背景に日本に好意的になったので、改正交渉を開始した外務大臣
青木周蔵 しゅうぞう
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訪日中のロシア皇太子が攻撃され、条約改正にイギリスの同意を得ていた青木周蔵が辞任する原因となった1891年の事件
大津事件
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日清戦争直前の1894年に調印に成功した、領事裁判権の撤廃や最恵国待遇の双務化及び内地雑居を内容とする条約と
そのときの外務大臣
日英通商航海条約
陸奥宗光
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1911年に関税自主権の回復に成功した外務大臣
小村寿太郎
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1882年に朝鮮で起こった、親日的な閔妃政権に対して朝鮮軍兵士が大院君を立てて反乱を起こし、清軍に鎮圧された事件
壬午軍乱 じんご
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壬午軍乱は何派と何政権の対立か。
大院君派と閔氏政権
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1884年、親清派に転じた閔氏政権に対し、親日改革派の金玉均がクーデタを決行したが、清の干渉で失敗した事変
甲申事変 こうしん
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金玉均が属した朝鮮の親日改革派の政治グループ
独立党
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甲申事変の後、悪化した日清関係の打開のために結んだ条約
天津条約 てんしん
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天津条約を交渉したのは誰と誰か。
伊藤博文
李鴻章
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1885年に福沢諭吉が発表した、日本はアジアを脱して欧米列強の一員になるべきであると主張する論説
脱亜論
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朝鮮の地方官によって出された、凶作を理由に大豆・米の対日輸出を禁止した命令
防穀令
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1894年、朝鮮で減税と排日を要求して起こった農民蜂起
甲午農民戦争
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朝鮮の支配権をめぐる清との戦争
日清戦争
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日清戦争で日本が勝利して1895年に結んだ条約
下関条約
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下関条約の締結における日本の全権2人と清の全権1人
伊藤博文・陸奥宗光
李鴻章
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下関条約での清からの日本への賠償金はいくらか。
2億両(テール)
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下関条約で清が日本に割譲することが決められたが後に返還した地
遼東半島
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東アジア進出を目指すロシアが遼東半島の割譲に反応し、フランスとドイツを誘って遼東半島の返還を日本に要求したこと
三国干渉
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三国干渉後、日本国内でロシアに対する敵意を表す標語となった故事成語
臥薪嘗胆 がしんしょうたん
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下関条約で清から割譲され、総督府をおいて初代総督に海軍の樺山資紀を任命して統治した植民地
台湾
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1897年、朝鮮は国号をなんと改めたか。
大韓帝国
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日本の大陸進出を肯定した日本主義を唱えた人物と、その人が主幹となった雑誌
高山樗牛 ちょぎゅう
「太陽」
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1898年に、立憲改進党に少数派政党が加わり結成された、進歩党と自由党が合体して成立した政党
憲政党
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憲政党を基盤に成立し、首相に大隈重信、内相に板垣退助が就任した日本初の政党内閣
隈板内閣 わいはん
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隈板内閣の文部大臣で、金権政治を批判した共和演説事件により辞任した人物
尾崎行雄
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第二次山県有朋内閣が、政党の影響力が官僚に及ぶのを防ぐために改正した法令
文官任用令
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第二次山県有朋内閣のとき、政党の力が軍部に及ぶのを防ぐため、陸・海軍大臣は現役の大将・中将に限ると規定した制度
軍部大臣現役武官制
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第二次山県有朋内閣のとき、1900年に社会主義の台頭や労働・農民運動を抑えるために交付された法令
治安警察法
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伊藤博文や山県有朋がその地位にあった、後継首相の選任権を握るなど非公式に天皇を補佐する最高顧問の長老
元老
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1900年に伊藤博文を総裁に結成した政党
立憲政友会
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立憲政友会を率いた第4次伊藤博文内閣に代わり、山県有朋の後継者が組閣した内閣
第一次桂太郎内閣
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立憲政友会を基盤に、伊藤博文の後継者が組閣した内閣
第一次西園寺公望内閣
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アメリカが中国進出を表明した宣言
門戸開放宣言
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アメリカは中国分割への参入に遅れていたが、1899年に門戸開放・機会均等を提唱した国務長官
ジョン=ヘイ
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1900年、清で列強進出に反対した秘密結社が掲げたスローガンと、起こした反乱
「扶清滅洋」
義和団事件
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義和団事件に清国政府が同調し、日本を含む列強連合軍に宣戦布告をしたが結局鎮圧された、この一連の出来事
北清事変
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列強と清が結んだ、各国軍の北京駐留権を定めた条約
北京議定書
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ロシアとの「満韓交換」を交渉で行うとする考え
日露協商論
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イギリスを味方にしてロシアと戦うという考え
日英同盟論
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大韓帝国が親露路線を強める中、1902年、ロシアの南下に対抗して日本がイギリスと結んだ同盟条約
日英同盟協約
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日露開戦に対して非戦・反戦論を唱えた人たち
・札幌学校出身のキリスト教徒
・平民社を設立し、「平民新聞」で唱えた社会主義者2人
・「君死ニタマフ事ナカレ」で訴えた歌人
・内村鑑三
・幸徳秋水
・堺利彦
・与謝野晶子
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日露戦争が始まった年
1904年
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日露戦争で日本軍が陥落させた遼東半島の港町
旅順
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日本の連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を撃破した戦い
日本海海戦
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1905年に結ばれた日露講和条約と、仲介したアメリカ大統領
ポーツマス条約
セオドア=ローズベルト
(フランクリン・ルーズベルトじゃない)
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ポーツマス条約に調印した日本の全権とロシアの全権
小村寿太郎
ウィッテ
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北緯50度以南の樺太譲渡などのポーツマス条約の内容に賠償金がないことを不満に思った民衆が条約調印日に起こした暴動
日比谷焼打ち事件
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1904年に結んだ、日本推薦の財政・外交顧問を韓国政府におき、重要案件は事前に日本政府と協議することを認めさせた協約
第一次日韓協約
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1905年に日本とアメリカの間で非公式に結ばれた、日本の韓国指導権とアメリカのフィリピン統治を相互に承認した秘密協定
桂・タフト協定
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1905年に結んだ、韓国を保護国化するために韓国の外交権を奪い統轄する協約と漢城においた日本政府の代表機関
第二次日韓協約
統監府
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統監府の初代統監
伊藤博文
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1907年、韓国皇帝高宋が特使を送り日本の韓国進出の現状をオランダで開かれた万国平和会議に訴えたが、列国に無視された事件
ハーグ密使事件
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第三次日韓協約で韓国の軍隊が解散させられたことで、元韓国軍兵士が加わって本格化した反日武装抵抗
義兵運動
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1909年、伊藤博文をハルビンで暗殺した韓国の民権運動家
安重根
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韓国併合は何年
1910年
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韓国併合後、漢城は京城に改称されたが、ここに設置された日本の植民地統治の機関
朝鮮総督府
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朝鮮総督府の初代総督
寺内正毅 まさたけ
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朝鮮総督府が挑戦全土で実施した測量・土地所有権の確認事業
土地調査事業
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1908年に挑戦の土地開発を目的に設立され、のちに植民地経営の中心的役割を担った半官半民の国策会社
東洋拓殖会社
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日露戦争後に日本が租借地とした遼東半島南部はなんと呼ばれたか。
関東州
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関東州を統治するために、旅順に設置された機関
関東都督府
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1906年に設置され、満州の経営に大きく役割を果たした半官半民の国策会社
南満州鉄道株式会社
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アメリカの満州進出を警戒して、日本が1907~16年の間に4度にわたりロシアと結んだ協約
日露協約
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1911年に、清で三民主義を掲げた、王朝の専制と異民族支配に反対する共和主義革命と指導した人物
辛亥革命
孫文
三民主義は、民族主義・民生主義・民権主義
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辛亥革命の結果、1912年に孫文を臨時大総統として国家が成立し清が倒れたが、この新国家をなんというか。
中華民国
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中華民国の成立後、孫文ら国民党を弾圧して1913年に正式な大総統となり、独裁政治を行った北洋軍閥の実力者
袁世凱
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1901年に片山潜・安部磯雄によって創立されたが、2日後に解散させられた日本最初の社会主義政党
社会民主党
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1908年、第二次桂内閣のときに発布された、個人主義的な風潮を戒め、勤勉・倹約を説いた詔書
戊申詔書
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第二次西園寺公望内閣に陸軍が求めたこと
二個師団増設
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帝国国防方針の長期目標はなにか。
八・八艦隊
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「憲法講話」を刊行し、天皇機関説や政党内閣論をとなえた東京帝国大学教授
美濃部達吉
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美濃部達吉が刊行した本ととなえた論2つ
「憲法講話」
天皇機関説
政党内閣論
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西園寺首相が二個師団増設を拒絶したときに天皇に辞表を単独で提出した陸軍大臣
上原勇作
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第一次護憲運動の、掲げた目標と
立憲政友会の中心人物と
立憲国民党の中心人物
「閥族打破・憲政擁護」
尾崎行雄
犬養毅
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桂が組織した非立憲政友会系の新党とその総裁
立憲同志会
加藤高明
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護憲運動で第三次桂内閣が総辞職した政変
大正政変
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桂のあとに立憲政友会を与党として内閣を組織した薩摩出身の海軍大将
山本権兵衛
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内閣に対する軍の影響力行使を制限するための、現役の大・中将しか軍部大臣になれないという規定
軍部大臣現役武官制
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外国製の軍艦や兵器の輸入をめぐる海軍高官の汚職事件
シーメンス事件
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三国同盟の三国
ドイツ、オーストリア、イタリア
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三国協商の三国
イギリス、フランス、ロシア
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バルカン半島はなんと呼ばれていたか。
ヨーロッパの火薬庫
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第一次世界大戦の引き金となった事件
サラエボ事件
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日英同盟を理由に日本が宣戦布告をした国と
その時の内閣と
外務大臣
ドイツ
大隈内閣
加藤高明
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日本が権益を接収した中国におけるドイツの占拠地2つ
青島
山東省
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日本が中国に迫った要求とその時の中国政府の総裁
二十一箇条の要求
袁世凱
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二十一箇条の要求を受け入れた5月9日は中国ではなんとされたか。
国恥記念日
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袁世凱の跡を継いだ北方軍閥の政権の総裁
段祺瑞 だんきずい
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日本が中国政権に資金貸与で影響力拡大図る政策
西原借款
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日米が中国での権益を相互承認した協定
石井・ランシング協定
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大日本帝国憲法の枠内で民主主義の長所のみを採用するという主義とそれを提唱した人物
民本主義
吉野作造
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寺内内閣の内閣組織に対抗して与党各派が結成した会
憲政会
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シベリア出兵を当て込んだ米の投機的買い占めで起こった混乱
米騒動
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原敬のあだ名
平民宰相
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原内閣導入した選挙制度
小選挙区制
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原敬が暗殺されたあと、立憲政友会を与党として内閣を組織した海軍大将
加藤友三郎
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パリ講和会議に日本の全権として送られた2人
西園寺公望
牧野伸顕 のぶあき
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ドイツ側に巨額の賠償金を課し、ドイツ本国領土の一部を割譲させる厳しい講和条約
ベルサイユ条約
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国際紛争の平和的解決と国際協力のための機関
国際連盟
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ベルサイユ条約に基づくヨーロッパの新しい国際秩序
ベルサイユ体制
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ベルサイユ条約によって日本が得た旧ドイツ領南洋諸島に対する権利
委任統治権
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旧ドイツ権益の中国への直接返還を求める半日国民運動
五・四運動
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朝鮮全土で起こった日本の支配下から独立を求める大衆運動
三・一独立運動
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海軍軍備制限と太平洋及び極東問題を審議するための国際会議
ワシントン会議
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ワシントン会議に日本の全権として派遣された2人
加藤友三郎
幣原喜重郎
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ワシントン会議で結ばれた、日英同盟協約終了が同意された、太平洋の平和に関する条約
四か国条約
アメリカ・イギリス・日本・フランス
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ワシントン会議で結ばれた、石井・ランシング協定が廃棄された、中国問題に関する条約
九カ国条約
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ワシントン会議で結ばれた、主力艦保有量の制限と今後十年主力艦の建造が禁止された条約
ワシントン海軍軍備制限条約
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協調路線を重視した大正・昭和初期の外交政策とその時の外務大臣
幣原外交
幣原喜重郎
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幣原喜重郎がソ連との国交樹立のために締結した条約
日ソ基本条約
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在華紡でおきた中国人労働者の待遇改善を要求するストライキをきっかけに大規模な反帝国主義運動が中国全土に広がった事件
五・三〇事件
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吉野作造が啓蒙運動を行うために組織した会
黎明会 れいめい
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吉野作造の影響を受けて東京帝国大学の学生たちが結成した思想団体
新人会
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ロシア革命に影響を受けて結成された党
日本共産党
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次の女性差別や部落差別解消のための団体
・平塚らいてうらの文学者団体
・平塚と市川房枝が設立
・西光万吉らが結成
青鞜社
新婦人協会
全国水平社
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1923年9月1日におこった災害
関東大震災
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亀戸警察署内で警備軍隊によって社会主義者10名が殺害された事件
亀戸事件
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憲兵により大杉栄・伊藤野枝らが殺される事件
甘粕事件
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無政府主義者の難波大助によって後の昭和天皇である裕仁親王が狙撃された事件
虎の門事件
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松方正義と西園寺公望が首相に推した枢密院議長
清浦奎吾 けいご
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第二次護憲運動をおこした3党
憲政会
立憲政友会
革新倶楽部
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清浦が味方につけた、立憲政友会から分裂して生まれた、高橋是清を批判する勢力によって組織された党
政友本党
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憲政会・立憲政友会・革新倶楽部をなんというか
護憲三派
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加藤高明内閣が成立させた選挙制度
普通選挙法
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第一次護憲運動から男子普通選挙制の成立までの社会運動や時代思潮をなんというか。
大正デモクラシー
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加藤高明内閣のもとで「国体」の改革を目的とする結社の組織者と参加者を処罰すると定めた法
治安維持法
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政党内閣が慣例化した政治体制
憲政の常道
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