10東アジア文化圏の形成
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隋は589年に南朝の( )を滅ぼして中国を統一した
陳
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隋の( )は、北魏の制度を継承したものだが、奴婢・耕牛への支給は停止した
均田制
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隋の税制は( )である
租調庸制
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隋は兵農一致の徴兵制である( )を採用した
府兵制
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隋の( )は3度にわたる( )遠征が失敗したことで王朝の滅亡を導いた
煬帝、高句麗
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( )は玄武門の変を経て、唐の2代目の皇帝となった
太宗
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太宗は、( )と呼ばれる安定した治世を現出した
貞観の治
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唐は律令国家の建設のため、( )、( )、( )を中心とした中央官制を設立した
三省、六部、御史台
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六部は( )に所属していた
尚書省
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六部の内訳
吏、戸、礼、兵、刑、工
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高宗は、征服地に6つの( )を設置し、羈縻政策と呼ばれる間接統治を行った
都護府
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712年に即位した( )は( )と呼ばれる中興期を現出した
玄宗、開元の治
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玄宗は辺境の防備のために( )をおき、かれらに傭兵を用いる権限を与えたので、府兵制からから( )への切り替えが進んだ
節度氏、募兵制
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安史の乱は( )の援軍によって鎮圧された
ウイグル
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安史の乱後、節度使は内地にもおかれ、( )と呼ばれた
藩鎮
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徳宗の宰相である陽炎により、租調庸制にかわって( )が実施された
両税法
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875年、塩の密売人によって( )が起こり、貴族が没落した
黄巣の乱
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三省のなかでも、詔勅の内容を審議して決定する( )には有力貴族が集まった
門下省
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唐の時代には、( )ゃ( )など華中・華南の港市が発展した
揚州、広州
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唐では、( )という三色の陶器が作られた
唐三彩
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( )は、日本へ渡り、唐招提寺をひらいた
鑑真
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( )は、7世紀後半に百済、高句麗を滅ぼして朝鮮半島を統一した
新羅
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突厥にかわって強大化したトルコ系の( )は、はじめマニ教を信仰していたが、やがて( )に改宗した
ウイグル、イスラーム教
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