歴史総合 近代1
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Mr.FS
2025年07月01日
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1778年、ロシア船が蝦夷地の( )に来航し、通商を求めた。
厚岸
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仙台藩医の( )は、ロシア研究書である( )を著した。
工藤平助 赤蝦夷風説考
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経世論家の( )は、朝鮮・琉球・蝦夷地についての地理書である( )を著した。
林子平 三国通覧図説
その他「海国兵談」なども著した
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1786年、( )らが南千島を探検し、得撫島まで到達した。
最上徳内
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1792年、ロシア使節( )が現在の北海道の( )に来航し、通商を求めた。
ラクスマン 根室
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ラクスマンは漂流民( )を帰還させる名目で来航した。
大黒屋光太夫
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1798年、( )と最上徳内が択捉島を探検した。
近藤重蔵
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1799年、( )が現在の北方領土への航路を開拓した。
高田屋嘉兵衛
東蝦夷地が幕府の直轄地となった
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1800年、( )が蝦夷地を測量した。
伊能忠敬
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1804年、信牌(貿易許可証明書)を持ったロシア使節( )が( )に来日し、通商を求めた。
レザノフ 長崎
幕府は通商を拒否したため、ロシア船は樺太・千島を攻撃した
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1806年、幕府は( )(撫恤令)を出した。
薪水給与令
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1808年から翌年にかけて、( )が樺太を探検した。
間宮林蔵
樺太が島であることを発見した
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1808年、イギリスの軍艦がオランダ船捕獲のため長崎に侵入し、薪水・食料を強奪し退去した事件
フェートン号事件
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1810年、フェートン号事件を受け、幕府は( )藩と( )藩に江戸湾の警備を命じた。
五十音順に
会津 白河
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1811年、ロシア海軍の軍人( )が測量中、国後島で日本に捕らえられた。
ゴローウニン
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1812年、( )が国後島でロシアに捕らえられた。
高田屋嘉兵衛
翌年、ゴローウニン・高田屋嘉兵衛共に釈放され、日露関係が改善した
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1825年、幕府は外国船を理由を問わず砲撃し追い払うことを命じた( )を出した。
異国船打払令
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1837年、漂流民返還と通商交渉のために来航したアメリカ船を撃退した事件
モリソン号事件
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文化・文政年間を中心とし、町人文化が花開いた時代
文化文政時代
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11代将軍徳川( )は、将軍職を退いた後も大御所として実権を掌握していた。
家斉
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徳川家斉が政治の実権を握っていた時代
大御所時代
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徳川家斉が行った政治
大御所政治
文化年間は寛政の改革の質素倹約を尊重し、文政年間は質の悪い貨幣を流通させ財政を潤わせた
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1827年、幕府は( )を設置し、関東での警察機能を強化させた。
関東取締出役
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1833年から39年にかけて( )の飢饉が起こり、百姓一揆や打ちこわしが続発した。
天保
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1837年、大坂町奉行所の元役人( )が、窮民救済のために蜂起した。
大塩平八郎
大坂では飢饉が相次いでいたが、豪商は米を買い占めたため
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1837年に大塩平八郎が起こした一揆
大塩平八郎の乱
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1837年、国学者の( )が「大塩門弟」と称し、越後( )の代官所を襲撃した。
生田万 柏崎
生田万の乱
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