【歴史総合】東方問題と19世紀のロシア
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寿司
2024年11月12日
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17世紀まで強大な勢力を誇っていたが、18世紀後半に入るとロシアとの相次ぐ戦争に敗北した結果弱体化が明らかになった国の名前を答えよ。
オスマン帝国
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オスマンが弱体化したのを受けて、西欧列強はオスマン帝国の分割をめぐって中東・バルカン半島への進出と干渉をすすめ、国際紛争を招いたことを何と言うか。
東方問題
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1798年にナポレオンによるオスマン帝国内で占領された国の名前を答えよ。
エジプト
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オスマン政府から自治権を獲得したバルカン半島の国の名前を答えよ。
セルビア
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ロシアが18世紀以降、黒海から地中海にいる航路を確保するためにすすめた、伝統的な政策は何か。
南下政策
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クリミア戦争中、ロシアの軍事拠点である要塞(クリミア半島)をめぐり、イギリス・フランス・オスマン軍とロシア軍は激戦を繰り広げた。このときの要塞の名前を答えよ。
セヴァストーポリ要塞
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1856年、クリミア戦争語に黒海の中立化と各国の商船への開放などが決定された条約の名前を答えよ。
パリ条約
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1818年に誕生し、1881年まで生きたロシアの皇帝の名を答えよ(①)。また、その皇帝が行った農民が身分的には自由になった勅令の名前も答えよ(②)。
アレクサンドル2世、農奴解放令
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農奴解放令発令後も、農民の多くは国家の末端統治機構となった農村共同体に組み込まれたままであった。農村共同体をカタカナ3文字で何と言うか。
ミール
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19世紀前半に独立戦争が始まった、1830年には国際承認されて独立することに成功した国の名を答えよ。
ギリシア
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ミールを基盤とする社会主義を目指し、「人民のなかへ」をスローガンに組織された運動の名前を答えよ。
ナロードニキ運動
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ナロードニキ運動は農民に対する啓蒙運動が失敗に終わると、失望した彼らの一部は無政府主義の影響のもと、秘密結社を組織してテロリズムをくりかえしてアレクサンドル2世や要人を暗殺した。このときの無政府主義をカタカナで何と言うか答えよ。
アナーキズム
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ロシアは1877年にふたたび南下し戦争を起こした。戦争の名前を何と言うか。
ロシア=トルコ戦争
露土戦争ともいう。
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露土戦争でロシア軍はイスタンブル郊外にまで達し、オスマン帝国とむすんだ、ブルガリアの領土拡大(ロシアの保護下になった)などを行った条約の名前を答えよ。
サン=ステファノ条約
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ロシアの勢力拡大にイギリス・オーストリアが反対したため、1878年にドイツのビスマルク主催で開かれ、ブルガリアの領土縮小などを行い、ロシアの勢力範囲が縮小された会議の名前を何と言うか。
ベルリン会議
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