迂闊 2021年07月18日 カード48 いいね0

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単語カード

  • 守護の多くが京都・鎌倉に駐留したため、両国では★★や、土着の武士であった★★らが、自分たちの権力を確立していった。
    守護代、国人
  • 鎌倉公方に就任した★★は、関東管領上杉憲忠を謀殺した。この事件を契機に、1454年には★の乱が発生した。
    足利成氏、享徳の乱
  • 享徳の乱を契機に、鎌倉公方であった人物は★に拠点を移した。
    古河
  • 鎌倉公方は、足利持氏の子の★★が★★公方に、足利義政の弟の★★が★★公方になった。
    足利成氏、古河公方、足利政知、堀越公方
  • 関東管領の上杉氏も、★・★★の両家に分かれて争うようになった。
    扇谷、山内
  • ★★★は、15世紀末に堀越公方であった茶々丸を自害させた。
    北条早雲
  • 北条早雲の子は▲である。
    北条氏綱
  • 北条早雲の孫である★★は、古河公方を撃破した。
    北条氏康
  • 越後の守護代の出身である★★★は、山内上杉の★から家督を譲り受けて関東管領となった。
    長尾景虎(上杉謙信)、上杉憲政
  • 駿河の守護★★★は、遠江・三河を領国化して勢力を張った。
    今川義元
  • 美濃では★★が、守護の★★氏を滅ぼして下剋上した。
    斎藤道三、土岐氏
  • 近江では、★★氏が、その主家にあたる守護の▲氏をおさえた。
    浅井氏、京極氏
  • 京都では、管領★を、家臣である★★が追放した。
    細川晴元、三好長慶
  • ★★は、三好長慶を下剋上し、13代将軍★★★を襲って自殺させた。
    松永久秀、足利義輝
  • 中国地方では、守護大名の大内氏を滅ぼした★★から権力を奪った★★★が、山陰地方の尼子氏と戦闘を繰り返していた。
    陶晴賢、毛利元就
  • 陸奥の戦国大名は★★★氏である。
    伊達氏
  • 越後の戦国大名は★★★氏である。
    上杉氏
  • 甲斐の戦国大名は★★★氏である。
    武田氏
  • 駿河の戦国大名は★★★氏である。
    今川氏
  • 越前の戦国大名は★★★氏である。
    朝倉氏
  • 土佐の戦国大名は★★★氏である。
    長宗我部氏
  • 豊後の戦国大名は★★★氏である。
    大友氏
  • 斎藤氏は★★★国の戦国大名である。
    美濃国
  • 織田氏は★★★国の戦国大名である。
    尾張国
  • 浅井氏は★★★国の戦国大名である。
    近江国
  • 六角氏は★★国の戦国大名である。
    近江国
  • 北畠氏は★国の戦国大名である。
    伊勢国
  • 三好氏は★★国の戦国大名である。
    阿波国
  • 大内氏は★★国の戦国大名である。
    周防国
  • 尼子氏は★★国の戦国大名である。
    出雲国
  • 毛利氏は★★国の戦国大名である。
    安芸国
  • 龍造寺氏は★★国の戦国大名である。
    肥前国(長崎)
  • 相良氏は★★★国の戦国大名である。
    肥後国(熊本)
  • 島津氏は★★★国の戦国大名である。
    薩摩国(西鹿児島)
  • 戦国大名の中には両国支配の基本法である★★★を制定する者もあった。
    分国法(家法)
  • 奥羽に勢力を広げた★★★氏は、171条にも及ぶ『★★★』という分国法を制定した。稙宗が制定した。
    伊達氏、塵芥集
  • 『★★』は、後北条氏の初代の人物が制定した家訓である。
    早雲寺殿二十一箇条
  • 『★★』は、朝倉氏の家訓である。
    朝倉孝景条々
  • 16世紀前半、駿河・遠江などを領国とする戦国大名★は、『★★★』を制定した。
    今川氏親、今川仮名目録
  • 『甲州法度之次第』は★★★氏の分国法である。
    武田氏
  • 阿波の三好氏の分国法は、『★★』である。
    新加制式
  • 戦国大名には、国人や地侍の収入を★★★で統一的に把握し、それを軍役などの賦課基準とする者もいた。
    貫高
  • 戦国大名の軍事組織は、有力家臣に下級の地侍クラスの武士たちを配属する★★をとった。
    寄親・寄子制
  • 戦国大名の検地は、領内の領主あるいは名主に自己申告させる★★★であった。
    指出検地
  • 分国法には、家臣間の紛争を公権の採決にゆだね、実力行使を禁じた★★★の規定がある。
    喧嘩両成敗
  • 分国法では、犯罪者に対しては、その共犯者を処罰する★や、親族の連帯処罰をする★★などの規定があった。
    連坐、縁坐
  • 分割相続によって家督・財産が細分化されるのを防ぐために★制がとられた。
    嫡子単独相続制
  • 武田氏が釜無川にほどこした大規模な治水工事の遺跡を★という。
    信玄堤
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