日本史②
暗記
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紀元前4世紀頃から紀元後3世紀の中頃までの時期は、〇〇時代と呼ばれる
弥生
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弥生文化は縄文文化とは異なり北海道や南西諸島には及ばず、北海道では〇〇、南西諸島では〇〇と呼ばれる食料採取を中心とした文化が続いた
続縄文文化、貝塚文化
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弥生時代前期には、三角州なもに立地する湿田や、自然堤防や段丘上に立地する半乾田などが土地の条件に合わせて営まれ、地域によってはアワやキビといった〇〇が栽培されていた
雑穀
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耕作用の農具は木製の鋤や鍬が用いられ、収穫の際は〇〇を使い穂先を刈り取る穂首刈りがおこなわれた
石包丁
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脱穀には木臼と竪杵が用いられ、収穫物の貯蔵には床を高くした〇〇が用いられた
高床倉庫
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人々の住居は縄文時代と同じく〇〇が一般的であった
竪穴住居
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死者の埋葬方法は縄文時代は屈葬が一般的であったが、弥生時代には〇〇が多くなった
伸屈葬
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九州北部では自然石の支柱に大きな平石をのせた〇〇や大型の甕棺。用いた甕棺墓も多く見られた
支石墓
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盛土のある墓では、方形の低い墳丘の周囲に溝をめぐらした〇〇が各地に見られた
方形周溝墓
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後期には大規模な墳丘を持つ墓が出現し、岡山県の〇〇や山陰地方の四隅突出型墳丘墓がその代表として知られる
楯築墳丘墓
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祭りには青銅製祭器が用いられたが、その分布は〇〇や近畿地方、〇〇は瀬戸内海沿岸、銅矛、銅戈は九州地方などと地域により異なっている
銅鐸、平形銅剣
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