14-1 第1次世界大戦とロシア革命

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14章 二つの世界大戦1節 第一次世界大戦とロシア革命 (山川出版)の用語集

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14-1 第1次世界大戦とロシア革命
  • 1節 第一次世界大戦とロシア革命 
    1節 第一次世界大戦とロシア革命 
  • サライェヴォ事件
    1914年6月28日、オーストリア皇位継承者夫妻がボスニアの州都サライェヴォでセルビア人に殺害された事件。第一次世界大戦のきっかけとなった。
  • オーストリア=ハンガリー帝国
    オーストリア=ハンガリー帝国は第一次世界大戦でドイツとともに敗戦国となり帝国は解体される。戦後、オーストリア共和国となる。
  • フランツ=フェルディナント
    1914年6月、サライェヴォ事件で暗殺されオーストリア帝国の皇位継承者予定者。
  • ボスニア
    ボスニアのサライェヴォでセルビア人青年がオーストリア帝位継承者を狙撃するサライェヴォ事件が起き、第一次世界大戦が始まる。
  • セルビア
    大スラブ主義が台頭し、バルカン戦争が起こり、第一次世界大戦への導火線となる。大戦後に、南スラブ人が自立して建国したユーゴスラヴィア王国の中心となる。
  • 第一次世界大戦
    1914年7月28日から1918年11月11日の4年3ヶ月続いた、人類最初の世界戦争。帝国主義国家がドイツ・オーストリアを中心とした同盟国とイギリス・フランス・ロシアを中心とした協商国の二陣営に分かれ、ヨーロッパを主戦場として戦い、オスマン帝国が同盟国、日本が協商国側に加わって世界的規模となった。総力戦という戦争の性格や飛行機、潜水艦、毒ガスなど新しい武器が出現し、戦争の形態を一変させた。1917年のアメリカの参戦によって協商側の勝利となったが、戦争の過程でロシア革命が勃発、ソヴィエト=ロシアの労働者政権が出現し、各地の民族運動も激化した。この大戦によってドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・ロシア帝国・オスマン帝国などは消滅した。戦後のパリ講和会議の結果、1919年にヴェルサイユ条約が締結され、国際連盟が発足して集団安全保障を模索することとなったが、対立の根を残したため、20年後には第二次世界大戦が起こった。
  • 連合国/協商国
    第一次世界大戦におけるイギリス・フランス・ロシアの三国協商とその同盟国。
  • 同盟国
    第一次世界大戦で三国同盟のドイツ、オーストリアを中心とした陣営。三国同盟の一員だったイタリアは脱退し、オスマン帝国、ブルガリアなどが加わった
  • フランス(9)
    第一次世界大戦ではドイツに攻め込まれたが塹壕戦で耐え、連合国としての勝利を勝ち取る。1919年、ヴェルサイユ条約で領土拡張。ドイツに対する過酷な姿勢を取る。20年代には国際協調路線を取る。
  • イギリス(9)
    第一次世界大戦に参戦し、陸軍を大陸に派兵。海軍はドイツの潜水艦と戦った。戦勝国としてパリ講和会議に参加するも、債権国から債務国に転じ、イギリス帝国の繁栄は失われ、国際政治・経済の主導権はアメリカに移った。
  • ドイツ
    ヴィルヘルム2世の世界政策は、イギリスとの帝国主義と対立、さらにオーストリアとの同盟関係からバルカンでのロシアと対立し、イギリス・ロシア・フランスなどと戦う第一次世界大戦に突入した。
  • ヴィルヘルム2世
    第一次世界大戦時のドイツ帝国皇帝。1890年、ビスマルクを罷免し、皇帝主導の帝国主義的膨張策である世界政策(「新航路」)を展開して世界大戦の要因をつくり、1918年、敗戦によって退位した。
  • イタリア(6)
    ドイツ・オーストリアとともに三国同盟を締結したが、次第に離反し、第一次世界大戦が起こるとイギリスとの密約で三国協商側について戦った。
  • モンテネグロ
    第一次世界大戦後、ユーゴスラヴィア王国を構成した。第2次大戦後はユーゴスラヴィア連邦の一員となったが、1990年代の内戦を経て分離独立した。
  • ロシア
    19世紀末から帝国主義の矛盾が進行し、ロシアも第一次世界大戦の当事国となる。しかし戦争によって国内矛盾はさらに強まり、ついにロシア革命が勃発、社会主義政権が成立してソ連邦の一員としてのロシア共和国となる。
  • 日本の参戦
    イギリスとの日英同盟を口実に、1914年8月に第一次世界大戦に参戦し、青島のドイツ基地を攻撃、南洋諸島を占領した。1915年には中国政府に対し二十一カ条要求を提出、山東省での権益を認めさせた。1917年には地中海に艦隊を派遣。これらによって連合国に加わった日本は戦後のパリ講和会議に出席、大陸での利権の確保しようとした。またロシア革命に干渉するシベリア出兵を行った。
  • オスマン帝国の第一次世界大戦参戦
    オスマン帝国の青年トルコ革命で政権を握った青年トルコが主導して、ドイツ・オーストリアの同盟側について第一次世界大戦へ参戦した。
  • ブルガリア
    1908年、オスマン帝国からの独立を宣言しブルガリア王国となる。第1次バルカン戦争で領土を拡大したが、第2次バルカン戦争ではセルビアなどに敗れる。
  • ルーマニア
    1916年に連合国側として第一次世界大戦に参戦し、戦後に領土を拡大した。ファシストのアントネスクが独裁権力を握りドイツに接近、第二次世界大戦に枢軸側として参戦した。
  • ギリシア
    ギリシア王国は第一次世界大戦に連合国側で参戦。戦後、トルコの領土を侵犯し、ギリシア=トルコ戦争となる。
  • イタリアの第一次世界大戦参戦
    ドイツ・オーストリアとともに三国同盟を締結したが、次第に離反し、第一次世界大戦が起こるとイギリスとの密約で三国協商側について戦った。
  • シュリーフェン計画
    第一次世界大戦前にドイツ帝国陸軍が立てた戦略。東部戦線より先に西部戦線で勝利することをめざした。
  • ベルギー
    ベルギーは中立国であったが1914年の第一次世界大戦と、1939年の第二次世界大戦でいずれもドイツ軍の侵攻を受け、その軍事支配を受けた
  • マルヌの戦い
    1914年9月、ドイツ軍はシュリーフェン計画に基づき、大軍をベルギーから侵入させ、パリの西方に向かわせた。しかし、現地指揮官クルック将軍は大回り過ぎて補給が途絶えることを避けたか、進路を変えパリの東側に向かった。移動中のドイツ軍をイギリスの偵察飛行機が発見、フランス軍が急襲し、好機を作った(このときパリのタクシー600台が兵員輸送に活躍した)。こうしてパリ東方のマルヌ川付近でのマルヌの会戦となったが、ドイツの総司令官モルトケは、当時東部戦線でロシア軍が予想以上に迅速に国境に迫っているとの知らせを受け、兵力を一部移動させるためドイツ軍は戦線を後退させたのである。こうして当初の6週間でパリを陥落させるというドイツの戦略がくずれ、長期戦の様相を呈することとなり、いわゆる西部戦線での膠着した塹壕戦に移行していった
  • 西部戦線
    ドイツ軍はベルギー領内を破竹の勢いで突破、ついにフランス国内に侵入した。それをイギリス軍の飛行機が発見して陸上のフランス軍に連絡、ジョッフル将軍麾下のフランス軍がドイツ軍を捕捉し、9月5日、マルヌの戦いでその進軍を阻止した。
  • タンネンベルクの戦い
    ドイツの東側の東部戦線で、1914年8月17日、ドイツ領東プロイセンに進撃したロシア軍が、タンネンベルクでドイツ軍に敗れた。ロシア軍は当初、ドイツの予想を上回る速さで進撃してきたが、次第に補給と通信の不備が露呈してきて、進撃が停滞した。ドイツの戦線立て直しに派遣された新司令官ヒンデンブルク大将とルーデンドルフ参謀長は、ロシア軍の無線を傍受してその進路を知り、列車で大軍を移動させて、タンネンベルクのロシア軍を急襲して勝利を収めた。このときの戦闘で25万人のロシア兵のうち、12万5千が戦死か捕虜になり、ドイツ側の損害は1万にすぎなかった。タンネンベルクでのロシア軍の敗北は、ツァーリ政府の威信を著しく落とし、ロシア革命の勃発の警鐘となった。
  • 東部戦線
     第一次世界大戦でドイツ・オーストリア=ハンガリーの東部に形成された戦線を東部戦線という。1914年8月、ロシア軍がタンネンベルクの戦いでドイツ軍に大敗したため戦線を後退させた。
  • ガリポリの戦い
    第一次世界大戦で、1915年4月、イギリス・フランス連合軍がロシアと連絡を可能にするため、ダーダネルス海峡に面したガリポリに上陸したが、オスマン帝国軍に阻止された戦い。オスマン帝国のケマルパシャの名声が上がった。
  • ヴェルダン
    ヴェルダンは、現在のフランスのロレーヌ県北部、ベルギー国境の近くの地点。かつて、ヴェルダン条約が締結されたところ。第一次世界大戦では1916年2月~6月、フランス軍のヴェルダン要塞に向けて、ドイツ軍が総攻撃を行って、大戦最大の戦闘が行われたところである。ヴェルダンの戦いでは莫大な量の砲弾が使用され、フランスは31万5千、ドイツ軍は28万1千の死傷者を出した。結果的にフランス軍は防衛することに成功し、司令官ペタンの名声が上がった。
  • ソンムの戦い
    第一次世界大戦で1916年6月~11月、北フランスのソンムでドイツ軍に対するイギリス・フランス連合軍の総攻撃が展開された。イギリス軍のヘイグ将軍は、まだ実験段階だった戦車を初めて実戦に投入した。戦闘は全くの消耗戦となり、イギリス軍に42万、フランス軍に20万、ドイツ軍に45万の犠牲者を出し、勝敗無く終わった。
  • 航空機/飛行機
    1903年、ライト兄弟が実用化し、第一次世界大戦で新兵器として使用された。20世紀後半、急速に発達し船舶・鉄道とともに交通手段として用いられるようになり、旅客・流通・産業など大きな変化をもたらした。第二次世界大戦では空軍による空爆が決定的な役割を果たし、大規模な戦略爆撃によって戦闘員以外にも多くの犠牲者がでるようになった。戦後は遠距離交通に不可欠となっただけでなく、グローバルな移動による世界の一体化が進み、さらに宇宙開発競争に結びついている。
  • 毒ガス
    第一次世界大戦でドイツ軍が初めて使用した新兵器。殺傷能力のある有毒ガスを噴射して敵軍に打撃を与えようとするもの。非人道的兵器として国際的には使用は禁止されたが、その後も使用の例が見られる。
  • 戦車
    第一次世界大戦でイギリス軍が最初に使用した新兵器。以後、陸上戦闘での主要兵器として各地の戦争で使用されるようになった。
  • 潜水艦
    第一次世界大戦の海戦で使用されるようになった新兵器。特にドイツの高性能潜水艦はUボートといわれ、その無制限潜水艦作戦によって連合国に脅威を与えた。第二次世界大戦でも巨大戦艦に対する戦術として、特に太平洋戦争で多用され、海上戦闘での主要な軍備となった。戦後は原子力で推進し、ミサイルを搭載して大型化するなど、急速に性能を高度に高めている。
  • ルシタニア号事件
    第一次世界大戦中の1915年5月、ドイツ軍の潜水艦がイギリス客船ルシタニア号を撃沈した。多数のアメリカ人乗客が犠牲となったため、アメリカのドイツに対する反発が強まった。ついで1917年のドイツの無制限潜水艦作戦の開始を受け、アメリカは4月に参戦する。
  • 無制限潜水艦作戦
    第一次世界大戦でドイツはイギリスの海上封鎖に対抗し潜水艦を使用していたが、ルシタニア号事件を受けて一旦停止した。しかし大戦後半の劣勢を挽回するため、1917年2月から無制限潜水艦攻撃を開始、それを受けてアメリカが参戦した。
  • アメリカ合衆国(5)第一次世界大戦参戦
    第一次世界大戦開戦時には中立を保ったが、1917年に民主主義の防衛を標榜して参戦し、大戦の終結に大きな役割を果たし、ウィルソン大統領は国際連盟結成などの戦後世界の新秩序形成を主導した。
  • ロンドン秘密条約
    第一次世界大戦に際し、1915年4月に成立したイタリアとイギリス・フランス・ロシアの連合国との間の秘密条約。イタリアは領土拡張の約束を得て、連合国側で参戦することとなった。
  • サイクス・ピコ協定
    第一次世界大戦中の1916年5月、イギリス・ロシア・フランス間で結ばれたの西アジアの旧オスマン帝国領分割に関する秘密協定。ロシアが革命で脱落し英仏二国間の協定となった。イギリスがユダヤ人に向けて発したバルフォア宣言、アラブ人と約束したフセイン・マクマホン協定と矛盾する秘密協定であった。大戦後、セーヴル条約、さらにそれを修正したローザンヌ条約が締結されたためこの協定通りにはならなかったが、帝国主義諸国によって西アジアの民族分布の実態と合わない国境策定は現在の中東民族紛争の原因となったとされている。
  • フセイン・マクマホン協定
    第一次世界大戦中の1915年にイギリスがアラブ側と結んだ秘密協定。大戦後のアラブの独立を約束する代わりにオスマン帝国への反乱をうながした。イギリスがユダヤ人に示したバルフォア宣言、フランスなどと密約した内容と矛盾する内容だった。
  • フセイン
    第一次世界大戦の時期のアラブの指導者、ハーシム家の当主でメッカの太守。イギリスとのフセイン=マクマホン協定により、アラブの独立を約束され、オスマン帝国に対する反乱を起こす。ヒジャーズ王国を建国したが、イブン=サウードに敗れる。
  • ロレンス
    イギリス人で第一次世界大戦中にオスマン帝国からの自立をめざすアラブの運動を支援して活躍した、“アラビアのロレンス”と言われた人物。
  • ハーシム家
    メッカのムハンマドの出身一族。20世紀のその子孫、フセインはオスマン帝国でメッカの太守に任命されたが、イギリスとフセイン=マクマホン協定を結び、1916年に「アラブの反乱」を起こしヒジャーズ王国を建てた。その子たちは、イラク王国、ヨルダン王国の国王となった。
  • ヒジャーズ王国
    1918年、アラビア半島西部紅海沿岸に生まれたフセインを国王とするアラブ人の国家。わずか7年でイブン=サウードに征服され併合された。
  • バルフォア宣言
    第一次世界大戦末期の1917年11月、イギリスがユダヤ人にパレスチナ国家建設を認めた宣言。それ以前にアラブ人の独立を認めたフセイン・マクマホン協定、フランスなどとのオスマン帝国領分割を密約したサイクス・ピコ協定と矛盾し、現在にいたるパレスチナ問題の原因となった。
  • 戦後自治の約束(インド)
    第一次世界大戦中の1917年8月、イギリスがインドに対して将来の責任政府の実現と自治制度の発展を声明。当事者のインド担当国務大臣の名によりモンタギュー宣言とも言われる。インド側はこれを戦後の独立の約束と受けとったが、その具体案として出された改革では地方政治での自治に留まっていたため不満が大きかった。
  • ドイツ社会民主党
    ドイツ社会主義労働者党が1890年に合法化されて改称した。社会主義政党として勢力を増大させ第2インターナショナルの中心となった。1912年には第一党となったが、第一次世界大戦に反対せず、戦争末期に分裂した。大戦後、ヴァイマル憲法下で政権を担当したが、30年代に入りナチスが台頭、ナチス政権が成立すると非合法に追い込まれた。
  • キール軍港の水兵反乱
    1918年11月、第一次世界大戦末期のドイツで起こった水兵の反乱。戦争の即時休戦を要求し、ドイツ革命の口火を切った。
  • ドイツ革命
    大戦末期の1918年11月、キール軍港の水兵反乱を機に兵士・労働者が蜂起し、皇帝が退位しドイツ共和国臨時政府が成立した。社会民主党左派のスパルタクス団はドイツ共産党と改称し、一気に社会主義革命への転換を図って蜂起したが、19年1月、社会民主党の握る臨時政府によって弾圧され失敗に終わり、同年2月に穏健な議会制と資本主義経済をかかげるヴァイマル共和国が成立した。
  • 労兵評議会/レーテ
    1918年11月、キール軍港の水兵反乱から全国に波及した労働者と兵士の協議会。革命運動の挫折によって消滅した。
  • スパルタクス団
    ドイツ社会民主党の左派が結成した革命集団。第一次世界大戦末期にドイツ革命に際し、ドイツ共産党に改称し、社会主義革命を目指したが失敗した。
  • ドイツ共産党
    1918年12月にスパルタクス団が改称。1919年1月の武装蜂起に失敗した後、1920年代にはコミンテルンに属し革命をめざしたがいずれも失敗した。
  • ローザ=ルクセンブルク
    ドイツ社会民主党左派の理論家でスパルタクス団を結成。1919年、ドイツ革命の渦中に殺害された。
  • リープクネヒト
    カール=リープクネヒトはドイツ社会民主党左派の理論家で第一次世界大戦に反対し、1916年、スパルタクス団を結成。1919年、ドイツ革命に失敗し、殺害された。
  • ドイツ共和国
    1918年11月、ドイツ革命で共和政国家が成立。翌1919年、ヴァイマル議会で憲法が制定され、ヴァイマル共和国と言われ、1933年のナチス政権成立まで続く。
  • 十四カ条
    第一次世界大戦の講和に向けてアメリカ合衆国大統領ウィルソンが1918年1月に発表し、戦後の国際政治の原則とされた。
  • 第一次世界大戦の終結
    1917年、4月のアメリカの参戦と、11月のロシア革命(ソヴィエト政権の成立)によって転機を迎え1918年3月、ドイツとソヴィエト=ロシアが単独講和で合意してブレスト=リトフスク条約を締結、東部戦線で戦闘がなくなり、1918年10月にドイツで革命が起こり皇帝が退位して西部戦線でも敗北を受け入れ、11月11日に停戦となった。
  • ヴィルヘルム2世
    第一次世界大戦時のドイツ帝国皇帝。1890年、ビスマルクを罷免し、皇帝主導の帝国主義的膨張策である世界政策(「新航路」)を展開して世界大戦の要因をつくり、1918年、敗戦によって退位した。
  • ニコライ2世
    ロシア帝国ロマノフ朝の最後の皇帝(1894~1918)。皇太子時代に日本で大津事件に遭遇した。1904年、日露戦争に踏みきり、第1次ロシア革命勃発に至る。バルカンを巡りオーストリアとの対立を深め、1914年の第一次世界大戦の要因をつくり、戦争中の1917年、ロシア三月革命で退位。その渦中で1918年7月、ボリシェヴィキによって殺害された。
  • ラスプーチン
    ロシア帝政末期のニコライ2世の宮廷で実権を振るった僧侶。1916年12月、暗殺された。
  • 第2次ロシア革命
    「第2次ロシア革命」とは、第一次世界大戦中の1917年に勃発した、帝政ロシアのロマノフ朝から、臨時政府の時期を経て、ボリシェヴィキによる社会主義政権の成立に至った一連の革命を言う。その前段階として、1905年の日露戦争のさなかに起こった第1次ロシア革命(単に第一革命ともいう)がおこり、動揺したロマノフ朝の専制政治(ツァーリズム)は懸命に革命勢力を弾圧していたが、第一次世界大戦の長期化はロシア社会の矛盾をさらに先鋭化させ、1917年ロシア暦2月(新暦3月)のペトログラードでの民衆が蜂起してロマノフ朝が倒れ、そこから第2次ロシア革命が急展開することとなった。
  • 二月革命/三月革命
    1917年3月8日(ロシア暦2月23日)、二月革命(三月革命)でロマノフ朝の専制君主制が倒され(1917年3月15日にニコライ2世退位)てブルジョア主導の臨時政府が成立した。一方では革命派は労働者と兵士のソヴィエトを組織し、ロシアは二重権力の状況となった。
  • ソヴィエト政権
    1917年、ロシアの十月革命で成立した、世界史上最初の社会主義政権。18年にレーニンの主導するボリシェヴィキ独裁体制を樹立、ロシア以外のソヴィエト政権との連合体であるソヴィエト連邦を1922年に発足させる。
  • ペトログラード
    ロシアのピョートル1世がバルト海に面して建設した港湾都市。1712年からロシア帝国の首都。この都市は、政治情勢によって何度も都市名を変更している。第一次世界大戦が起こりペテログラードと改称。ロシア革命で首都はモスクワに移る。1924年にロシア革命の指導者レーニンの名を冠してレニングラードとなる。ソ連崩壊後、サンクト=ペテルブルクに戻る。
  • レーニン
    ロシアのボリシェヴィキの指導者。ロシア革命を指導し最初の社会主義国家を建設した革命家。
  • ボリシェヴィキ
    ロシア社会民主労働党の多数派。少数の革命家の主導する暴力革命を主張。ロシア革命の主導権を握り、後に共産党と改称。
  • メンシェヴィキ
    ロシア社会民主労働党内の少数派。大衆参加の穏健な革命を主張し、二月革命後のソヴィエトでは大きな勢力となった。
  • 社会革命党/エスエル
    ロシアのナロードニキの流れを汲む革命政党。ロシア革命では右派のケレンスキーが臨時政府首相となったが十月革命で倒された。左派はボリシェヴィキに協力したが、その独裁下では排除され、衰退した。
  • 立憲民主党/カデット
    ロシアのブルジョワ自由主義政党。二月革命で成立した臨時政府で中心となった。
  • 臨時政府
    1917年、ロシアの二月革命で成立した、ブルジョワ共和制を目指した政府。労働者・兵士のソヴィエトと対立し二重権力となった。
  • 二重権力
    第2次ロシア革命の三月革命後の臨時政府とソヴィエト政権が並立した状態。7月に首相となったケレンスキーはボリシェヴィキとの対立を強めたが、十一月革命でボリシェヴィキが権力をにぎり、臨時政府が倒されて解消した。
  • 四月テーゼ
    ロシア革命の中で、1917年4月、ボリシェヴィキ指導者レーニンが示した革命指針。「すべての権力をソヴィエトへ」と主張した。
  • ケレンスキー
    社会革命党右派の指導者としてロシアの二月革命後、臨時政府首相となった。十月革命でボリシェヴィキによって倒され、亡命した。
  • 七月暴動
    1917年、三月革命での二重権力状態を解消しボリシェヴィキ独裁を実現した革命。
  • 十月革命/十一月革命
     1917年11月はロシア暦では10月にあたるので、十月革命というが現在では新暦で十一月革命ということも多い。1905年の第1次ロシア革命に対して、1917年3月のロシア暦二月革命(三月革命)とこの革命をあわせて第2次ロシア革命というが、この十月革命だけをロシア革命と言うこともある。
  • トロツキー
    第2次ロシア革命の指導者。外務人民委員としてドイツとの講和条約であるブレスト=リトフスク条約の交渉に当たった。また外国の革命干渉、国内の反革命軍から革命を防衛する赤軍の創設に関わり、軍事指導者として活躍した。レーニン死後は主導権をスターリンと争い、世界革命を主張して一国社会主義を批判、ソヴィエト政権を追放され亡命生活に入り、1940年にメキシコで暗殺された。
  • 全ロシア=ソヴィエト会議
    ロシア二月革命で各地に設立された労働者・兵士のソヴィエトを結集した最高国家機関。十月革命で権力を握ったボリシェヴィキが主導権を確立した。ソ連成立後は最高国家機関となる。
  • ソヴィエト政権/ソヴィエト=ロシア
    1917年、ロシアの十月革命で成立した、世界史上最初の社会主義政権。18年にレーニンの主導するボリシェヴィキ独裁体制を樹立、ロシア以外のソヴィエト政権との連合体であるソヴィエト連邦を1922年に発足させる。
  • 平和についての布告
    1917年11月、レーニンが提唱した無賠償・無併合・民族自決を原則とした即時停戦提案。1918年3月、ドイツとの単独講和ブレスト=リトフスク条約を成立させ平和を実現した。この動きに対抗して、アメリカ大統領ウィルソンの十四ヵ条、あるいはアメリカ軍・日本軍などによる革命干渉としてシベリア出兵が行われた。
  • 民族自決
    それぞれの民族は自らの運命を自ら決するべきである、とする考え。第一次世界大戦期の民族主義の高まりの中で提唱され、レーニンの「平和についての布告」とウィルソンの「十四カ条」に盛り込まれた。
  • 土地についての布告
    1917年11月、レーニンが起草して発表。ロシア革命の基本施策として地主の土地の無償没収を宣言した。
  • フィンランドの独立
    1917年、ロシア革命でロシア帝国が滅亡したことを受け、12月に独立を宣言した。革命派と反革命派の激しい内戦があったが、1919年に共和国憲法を制定した。第二次世界大戦勃発とともにソ連軍の侵攻を受け、ナチス=ドイツに保護を求めたため、枢軸側に立たされた。
  • バルト三国の独立
    バルト海に面したエストニア、ラトヴィア、リトアニアの三国。それぞれ独自の歴史をもっており、リトアニアは特にポーランドを併せて大国だった。18世紀末までにロシア領となったが、ロシア革命によって1918年~20年にそれぞれ独立を達成した。しかし、第二次世界大戦勃発時にソ連軍が独ソ不可侵条約秘密協定によって侵攻し、編入された。1989年の「人間の鎖」運動から独立の気運が強まり、翌年、三国とも独立を回復した。
  • ポーランドの独立
    第一次世界大戦中にロシア革命が勃発したことを受け、1918年にポーランド共和国として独立を達成した。しかし国家主席ピウスツキは革命で混乱するソヴィエト=ロシアに侵攻し、ソヴィエト=ポーランド戦争が勃発、領土を現在のウクライナ、ベラルーシまでに拡大した。1926年から独裁政治をさらに強化した。
  • ブレスト=リトフスク条約
    1918年3月3日、ロシアのソヴィエト政権がドイツなど同盟国側と結んだ単独講和条約。第一次世界大戦の東部戦線での戦闘を終結させ、ソヴィエト=ロシアは旧ロシア帝国時代の領土を大幅に減少(ポーランド、バルト三国、フィンランド、ウクライナなどを放棄)させたが、革命遂行の前提である戦争停止を実現した。しかし、ソヴィエト政権の確立を恐れるイギリス、フランス、アメリカ、日本は共同して革命干渉に乗り出しシベリア出兵を行った。同年11月、第一次世界大戦でドイツ帝国が敗北して消滅したことにより、この条約も消滅した。
  • 憲法制定議会
    1917年11月25日、十月革命後に開催されたロシア最初の普通選挙による議会。社会革命党が第一党となり、ボリシェヴィキは敗れたが、翌年1月、レーニンによって閉鎖された。
  • ボリシェヴィキ独裁/プロレタリア独裁
    1918年1月、レーニンが憲法制定会議を解散させ、ボリシェヴィキ一党独裁体制を樹立した。
  • モスクワ
    1918年からソ連邦の首都となる。コミンテルン本部も置かれる。
  • 共産党/ロシア共産党/ソ連共産党
    1918年3月ボリシェヴィキがロシア共産党と改称、22年からはソ連共産党となった。以後、ソ連の一党独裁体制を続けたが、1991年、ソ連保守派のクーデター失敗により、解体され、ロシア共産党に戻った。
  • ロシア=ソヴィエト連邦社会主義共和国
    ロシア革命によって1918年7月に成立した国家。1922年に成立したソヴィエト連邦(ソ連)の中核国家となる。略してロシア共和国という場合もある。
  • 反革命政権
    ロシア革命に抵抗し、各地に成立した旧軍人などの政権。革命側の赤軍に対して白軍と言われ、外国の支援を受けて内戦を続けたが、1920年までに敗れて消滅した。
  • 対ソ干渉戦争
    ロシア革命に対してイギリス・フランス・アメリカ・日本など列強が反革命勢力を支援する軍隊を派遣し、革命を妨害しようとした戦争。1918年3月の英仏軍のムルマンスク上陸に始まり、4月には日本軍が単独でウラジヴォストークに陸戦隊を上陸させた。8月のチェコ兵救出を口実としたアメリカ提唱によるシベリア出兵が本格化し、特に日本は7万以上の兵力を投入した。しかし、反革命軍は1920年までにはいずれも鎮圧され、干渉軍も撤退、日本のみが1922年(北樺太では1925年)まで出兵を継続した。
  • シベリア出兵
    1918年~22年まで行われたイギリス・フランス・アメリカ・日本などによる、ロシア革命に対する軍事干渉。1918年3月の英仏軍のムルマンスク上陸に始まり、アメリカ軍・日本軍は8月、シベリアに共同で派兵した。口実はシベリアに抑留されたチェコ兵捕虜の救出であったが、ねらいは反革命軍(白軍)を支援して、ロシア革命軍(赤軍)を倒すことであった。しかし、反革命軍が崩壊し、干渉は失敗、米英仏軍はまもなく撤退したが、最大7万以上を派兵した日本軍は1922年(樺太では25年)までシベリアに留まった。
  • チェコ兵捕虜(チェコスロヴァキア軍団)
    第一次世界大戦でロシアの捕虜となっていたチェコ軍兵士。ロシア革命が起こり、ドイツ・オーストリアとの講和が成立したので、シベリア経由で西部戦線に送られることになったが、シベリア各地でボリシェヴィキと衝突。1918年8月、その救援を口実とした英米仏、および日本軍によるシベリア出兵が行われた。
  • チェカ
    ロシア非常委員会の略称でロシア革命での革命政府の警察機構。反革命の取り締まりにあたった。
  • 赤軍
    ロシア革命を反革命軍、外国の干渉軍から守るために組織された。
  • 戦時共産主義
    1918~21年、ロシア革命が反革命と干渉によって危機となったとき、レーニンが採用した穀物の調達などの強制的な革命防衛政策。
  • コミンテルン/第三インターナショナル/共産主義インターナショナル
    1919年結成の国際的な共産主義運動を指導する共産主義インターナショナル。第三インターナショナルともいう。1920~30年代の国際政治にも大きな影響力をもっていた。当初は革命を指導する機関として動いたがドイツ革命の失敗などから、次第に支援機関という性格に変化し、また1935年から人民戦線戦術に転換した。第二次世界大戦中、独ソ戦が開始されたことにより、ソ連が英米との協調に転じたので、1943年6月に解散した。
  • ソヴィエト=ポーランド戦争
    1920年4月からのソヴィエト=ロシアとポーランド間に起こった戦争。第一次世界大戦後に独立を回復したポーランドで独裁的な権力をにぎったピウスツキが、かつてのポーランド領の回復を目指し、ソ連領のウクライナ・ベラルーシに侵攻、一時は赤軍を圧倒したが、反撃されワルシャワ目前まで迫られた。1920年8月、ヴィスワ川の戦いで反撃し、ソ連を休戦に追いこみ、東部に広大な領土を獲得した。
  • クロンシュタット反乱
    1921年3月、戦時共産主義に反発したロシア海軍の水兵反乱。これを機にソヴィエト政権は新経済政策にて転換した。
  • 新経済政策/ネップ/NEP
    1921年、レーニンが主導し戦時共産主義から転換し、市場経済などを容認し生産力向上を目指した経済政策。経済・財政の安定ももたらされ、外交面でも協調策がとられてソ連承認が続いた。1924年、レーニンの死後、権力を掌握したスターリンによって1929年にNEPは否定され、計画経済と農村集団化による社会主義経済建設に向かう。
  • 英ソ通商協定
    新経済政策に転換したソヴィエト=ロシアが、1921年にイギリスと結んだ通商協定。ソ連の資本主義国との最初の通商関係が開かれた。
  • ソヴィエト社会主義共和国連邦/ソ連邦/ソ連
    1922年12月に成立したロシアを中心とした社会主義国家の連邦。ソ連邦。
  • ウクライナ
    9世紀にはキエフ公国が繁栄。14世紀にはリトアニアの支配を受ける。18世紀にロシア領となり、ロシア革命で1917年に中央ラーダが成立、18年にウクライナ人民共和国として独立を宣言した。しかしロシアのヴォリシェヴィキ政権・ポーランドの介入などで混乱、22年にウクライナのソヴィエト政権が成立してソ連邦を構成する社会主義共和国となった。1991年、ソ連から分離独立。首都はキエフ。2014年からクリミア半島、ウクライナ東部を巡りロシアとの激しく対立している。2022年2月にロシアの軍事侵攻が始まり、その東部は苦境に立たされている。
  • ベラルーシ
    スラブ系民族でリトアニア、ロシアに支配され、ロシア革命後にソ連邦を構成した社会主義共和国となる。ソ連解体後は単独の共和国。
  • ザカフカース
    カフカース山脈南側一帯は古来、オスマン帝国とイランの係争地であったが、19世紀以降ロシアが進出。1918年、ロシア革命に伴いジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン三国がザカフカース連邦を構成したが、1920年に民族対立から分解し、三国がそれぞれ社会主義共和国となる。1922年に三国はソ連邦の発足に加わった。
  • ソヴィエト社会主義憲法
    1924年に制定されたソヴィエト社会主義共和国連邦憲法。
  • 全ロシア=ムスリム大会
    1917年5月にモスクワで開催された中央アジアのイスラーム系民族の大会。民族自決権にもとずく共和国連邦の実現を求めた。
  • バスマチ運動
    1918~24年、トルキスタン地方で起こった反ソヴィエトの民族闘争。
  • スルタンガリエフ
    タタール人ボリシェヴィキ指導者。ソ連当局によって民族主義に偏向したとして23年に逮捕された。
  • カザフ
    キプチャク草原の遊牧民族でイスラーム化した。1936年、ソ連邦を構成する一国となり、現在はカザフスタン共和国。
  • ウズベク
    ウズベク人がトルキスタンに建設し、ソ連邦を構成する社会主義共和国。
  • タシケント
    トルキスタン地方の中心都市。唐代にはソグド人の石国として知られた。現在のウズベキスタン共和国の首都。
  • ラパロ条約
    1922年、ドイツ共和国がロシアのソヴィエト政権を承認した条約。ソ連の国際的承認の最初となった。
  • ソ連の承認
    1922年にラパロ条約でドイツが最初に承認し、24年のイギリス、フランス以降各国が続いた。日本は25年に承認した。アメリカの承認は遅れて33年となり、その翌年、ソ連の国際連盟加盟が実現した。
  • 日ソ基本条約
    シベリア出兵から撤退した日本が1925年、ソ連を承認して締結した。ドイツ、イギリス、フランスについて国交を結び、経済関係の好転を期待した。満州をめぐる対立関係は続いたが、1931年の満州事変でソ連が動かなかった背景ともなった。
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