39.南北朝の動乱
暗記
迂闊
2021年07月18日
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1335年、北条高時の子★★★が鎌倉幕府再興をはかって挙兵したが鎮圧された。この反乱を★★★という。
北条時行、中先代の乱
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中先代の乱を鎮圧したのは★★である。
足利尊氏
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1335年、鎌倉に幽閉されていた★は、足利直義に殺された。
護良親王
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1336年、足利尊氏の軍が、新田義貞・楠木正成の軍を破った戦いを★★という。
湊川の戦い
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1336年、後醍醐天皇は★★★宮に逃れた。
吉野宮
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1336年、足利尊氏は★★★天皇を擁立した。
光明天皇
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1336年、幕府を開く目的のもとに、政治の当面の方針を明らかにした★★★を定めた。
建武式目
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建武式目は、足利尊氏の諮問に鎌倉幕府の旧臣★★が答える形式で制定された。
二階堂是円
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★★年に制定された建武式目は、2項★条からなる。建武式目制定後も、御成敗式目は存続した。
1336年、17
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室町幕府の追加法令を★★という。
建武以来追加
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1338年に、足利尊氏は北朝の★★★天皇から★★★の職に任じられた。
光明天皇、征夷大将軍
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後醍醐天皇の子で、父の死後南朝をついだのは★★天皇である。
後村上天皇(義良親王)
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★★★は、後醍醐天皇の死後、南朝の軍・政両面にわたる指導者となり、有名な歴史書も残した。
北畠親房
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南朝側は1348年には河内の▲の戦いで楠木正行を失い、1354年には北畠親房が死去した。
四条畷の戦い
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尊氏の弟★★★と、尊氏の執事であり、急進的な改革を求めた★★★との対立から、幕府を二分する★★★とよばれる激しい争いが生じた。
足利直義、高師直、観応の擾乱
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観応の擾乱は★年に始まり★年に終結した。
1350年、1352年
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九州では後醍醐天皇の皇子である征西将軍★★を奉じる菊池氏を中心とした南朝の勢力が強かった。
懐良親王
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1371年、九州探題に任命され、九州における南朝勢力を制圧した人物は★★★である。
今川貞世(了俊)
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南北朝の合一は、★★年に行われた。当時の将軍は★★★である。
1392年、足利義満
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南北朝の合一により、南朝の★★★天皇は退位し、北朝の★★★天皇に神器を渡した。
後亀山天皇、後小松天皇
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