東アジアの動向とヤマト政権の発展
暗記
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6世紀初めに加耶西部の地域(『日本書紀』では「任那(みまな)四県」と表記)を百済に割譲し、のちにその責任を問われて大連の地位を退いたとされる人物はだれか。
大伴金村
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加耶諸国を併合していった国は新羅とどこか。
百済
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新羅・百済により加耶諸国が滅ぼされたのは西暦何年のことか。
562年
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朝廷内の豪族間の争いが高まるなか、大伴金村失脚後に勢力を強め、対立するようになった豪族は何氏と何氏か。
蘇我氏・物部氏
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蘇我氏・物部氏の争いは、あるものの受容をめぐって激化したが、それは何か。
仏教
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蘇我氏と物部氏の争いは、587年に蘇我氏が物部氏を滅ぼすことで決着した。この時の両氏の氏上(うじのかみ)はだれか。
蘇我馬子・物部守屋
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蘇我氏の力は、渡来人と結び財政権を握ったことにあったが、当時、朝廷の財物をおさめた蔵を総称して何というか。
三蔵(みつのくら)
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592年に蘇我馬子によって暗殺された天皇はだれか。
崇峻天皇
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崇峻天皇が暗殺されたあとに即位した、最初の女性天皇はだれか。
推古天皇
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推古天皇の甥で、蘇我馬子と協力して国政を担当し、改革を進めた人物はだれか。
厩戸王(聖徳太子)
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603年に、姓とは異なり、才能や功績に応じ、氏族単位ではなく個人に与えられる新しい位階制度がつくられた。この制度を何というか。
冠位十二階
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冠位十二階の制度に用いられた徳目を上から順に6つ答えよ。
徳・仁・礼・信・義・智
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604年に、「和を以て貴しとなし……」で始まる、豪族・官人に対する天皇への服従や衆議尊重、三宝崇敬などの道徳的訓戒を内容とする法令がつくられた。これを何というか。
憲法十七条
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7世紀初めに厩戸王が蘇我馬子とともに編纂したが、645(大化元)年の蘇我氏滅亡の際に焼失したという歴史書を2つあげよ。
天皇記・国記
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「日出づる処の天子、書を日没する所の天子に致す」という、中国皇帝に臣属しない形式の国書をもった外交使節が派遣されたのは、西暦何年のことか。
607年
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607年に派遣された外交使節を何というか。
遣隋使
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607年に遣隋使として中国に派遣された人物はだれか。
小野妹子
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607年に派遣された遣隋使について記載されている、中国の歴史書を何というか。
『隋書』倭国伝
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小野妹子が隋に派遣された時の隋の皇帝の名と、608年に日本へ答礼使として遣わされた隋の使者の名をあげよ。
煬帝・裴世清
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608年に、再び隋に派遣された小野妹子に同行した、留学生を1人あげよ。
高向玄理
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608年に、再び隋に派遣された小野妹子に同行した、学問僧を2人あげよ。
南淵請安・旻
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中国では618年に隋が滅び、新しい王朝が成立し、高度に発達した中央集権国家を築いた。この王朝を何というか。
唐
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唐に派遣された使節を何というか。
遣唐使
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遣唐使が最初にはけんされたのは西暦何年か。
630年
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630年に遣唐使として派遣された人物はだれか。
犬上御田鍬
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飛鳥の朝廷