歴史総合 近代4-1
暗記
Mr.FS
2025年10月10日
カード30
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19世紀中頃の日本は、江戸幕府13代将軍( )の後継者問題で混乱していた。
徳川家定
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徳川家定の後継者問題で対立していた2つの派閥
五十音順に
南紀派 一橋派
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一橋派は家定の後継者に一橋家の( )を推した。
徳川慶喜
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一橋派の代表的な人物
プリントに載っている2人を五十音順に
島津斉彬 松平慶永
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南紀派は家定の後継者に紀伊藩主の( )を推した。
徳川慶福
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南紀派の代表的な譜代大名
井伊直弼
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1858年、井伊直弼が大老に就任し、( )を無勅許で調印した。
日米修好通商条約
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1858年、井伊直弼は徳川慶福を14代将軍徳川( )にした。
家茂
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1858年から翌年にかけ、井伊直弼は自身の政策に反対する大名らを弾圧する( )を行った。
安政の大獄
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井伊直弼は( )を永蟄居、( )と松平慶永を謹慎処分とした。
安政の大獄
徳川斉昭 徳川慶喜
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井伊直弼は( )と( )を死刑とした。
安政の大獄
橋本左内 吉田松陰
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1860年、( )で井伊直弼が暗殺された。
桜田門外の変
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幕末期に起こった、朝廷と幕府を結びつけようという動き
公武合体運動
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江戸幕府の老中( )は朝廷との融和を図り公武合体を推進した。
安藤信正
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1862年、安藤は将軍家茂の夫人として( )を迎えた。
和宮
孝明天皇の妹
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1862年、( )で安藤信正が水戸浪士に襲われた。
坂下門外の変
その後は薩摩の島津久光が公武合体を推進した
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島津久光の行列を横切ったイギリス人を薩摩藩士が殺害した事件
生麦事件
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1862年、島津久光が江戸に出向いて( )の改革を行った。
文久
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文久の改革により、松平慶永は( )となった。
政事総裁職
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文久の改革により、松平容保は( )となった。
京都守護職
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文久の価格により、西洋式軍備が採用されたり( )が緩和されたりした。
参勤交代
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1862年以降、長州藩が中心となり( )はさらに激化した。
尊王攘夷運動
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長州藩は急進派公家である( )らと手を結び、幕府に攘夷決行を命じた。
尊王攘夷運動の広がり
三条実美
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徳川家茂が( )し、幕府は攘夷決行を諸藩に命じた。
尊王攘夷運動の広がり
上洛
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薩摩・会津藩が公武合体派の公家と手を組み、長州藩と急進派公家を京都から追放した事件
八月十八日の政変
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公家の中山忠光・土佐藩士の吉村寅太郎らが、大和五条の代官所を襲撃した事件
天誅組の変
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1864年、近藤勇らの( )が尊攘派志士を殺傷した。
新選組
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尊攘派志士が新選組に殺傷された事件
池田屋事件
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1864年に長州藩が勢力挽回を図り京都に攻め上った事件
禁門の変
薩摩・会津に敗れた
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1864年、第一次( )が行われ、長州藩は一時的に幕府に従った。
長州征討
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