64.江戸時代の農業
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迂闊
2021年07月21日
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戦国期から近世前期にかけて、治水・灌漑技術が向上したため、各地で★★が進められた。
新田開発
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代官が立案開発した新田を★という。
代官見立新田
享保期に発展した。農民が田畑の地続きを切り開いた新田を切添新田、一村なちし数ヶ村が申請して開発を行った新田を村請新田という。
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17世紀末には、有力な都市商人が資金を投下して開発する★★新田が見られた。
町人請負新田
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代表的な町人請負新田に、越後の★★新田、河内の★★新田、摂津の▲新田がある。
紫雲寺潟新田、鴻池新田、川口新田
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新田畑は★といって、一定期間年貢が大幅免除になった。
鍬下年季
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全国の耕地面積は、18世紀初頭には16世紀の★★倍の約★★万町歩に増加した。
2倍、300万町歩
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芦ノ湖の水を引いた用水は★である。
箱根用水
富士山麓の深良村に引かれ1670年に完成した。
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勘定方井沢弥惣兵衛が新田開発のために、利根川の水を引いて★★を完成させた。
見沼代用水
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江戸に引いた飲料用上水は★・神田上水である。
玉川上水
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瀬戸内海の▲や九州の▲などのように江戸時代に干潟の干拓により新田が開かれたところもある。
児島湾、有明海
下総椿海の湖沼などの干拓も進んだ。
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従来の風呂鍬にかわり★★★が使用され、深耕が可能となった。
備中鍬
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脱穀用の農具は、従来の★にかわり★★★が登場し、能率を高めた。
こき箸、千歯扱
これ以外の脱穀用具に殻竿があった。
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後家倒しともいわれた脱穀用農具を★という。
千歯扱
なんで?
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選別道具には、金網を用いた★★や、4枚の扇板の風力による★★があった。
千石簁、唐箕
せんごくどおし、とうみ
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用水の汲み上げでは、中国伝来の★から、小型の★が使用されるようになった。
竜骨車、踏車
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肥料では、自給肥料のほかに★★★とよばれる購入肥料が用いられるようになった。
金肥
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江戸時代の金肥には、★★★や、菜種や綿実から油を絞った★★★や、〆粕が用いられた。
干鰯、油粕
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干鰯の代表的な産地は★★である。
九十九里浜
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害虫駆除には、▲・石灰が使用された。
鯨油
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『★』は、近世初期に成立した最古の農書である。
清良記
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『農業全書』の著者は★★★である。
宮崎安貞
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宮崎安貞による日本初の総合的な農書『★★★』は、『農政全書』をもとにしたものである。
農業全書
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『▲』は、佐瀬与次右衛門の著した農書である。
会津農書
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加賀藩大庄屋土屋又三郎が宝永年間(1707頃)に著した『▲』は、農家の一年の生活を記したものとしてよく知られている。
耕家春秋
こうかしゅんじゅう。『老農夜話』『百姓伝記』も当時の代表的農書。
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『広益国産考』の著者は★★★である。
大蔵永常
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『農具便利論』の著者は★★★である。
大蔵永常
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大蔵永常は、農具の利用法について記した『★★』や、商品作物の栽培法について記した『★★』を著した。
農具便利論、広益国産考
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報徳仕法で知られる★★は、勤労・節約をといた。
二宮尊徳
1843年には彼の思想をもとにした結社報徳社が結成された。
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★は、幕末の農民指導者で、下総国に土着し農村復興や農業の合理化を説いた。
大原幽学
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二宮尊徳は★と呼ばれる方法で農民を指導した。
報徳仕法
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三草とは★・★・★である。
藍、麻、紅花
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四木とは★・★・★・★である。
楮、桑、漆、茶
こうぞ、くわ、うるし、ちゃ
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木綿の生産は★★・★★・尾張などで盛んになった。
河内・三河
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代表的な商品作物に阿波の★★がある。
藍
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代表的な商品作物に出羽村山の★★がある。
紅花
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代表的な商品作物に備後の★★がある。
藺草
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代表的な商品作物に薩摩の★がある。
煙草
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代表的な商品作物に駿河・山城の★がある。
茶
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代表的な商品作物に会津の★がある。
漆
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絞油業の原料となる★は、摂津・河内・近江などがその主産地であった。
菜種(油菜)
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