(歴 ④) 中学一年歴史 課題(一問一答)プリント241~264 ※世界史※
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わかどら
2024年05月16日
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(241) あらゆる自然物や自然現象に聖霊があるとする信仰を何というか。
アニミズム
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(242) まじないなどの超自然的な力で災いを防いだり、豊かな収穫を祈 ったりする行為を何というか。
呪術
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(243) 縄文時代の精神生活を知ることができる遺物とされ、 女性をかたどったものが多い土製品を何というか。
土偶
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(244) 縄文時代の精神生活を知ることができる遺物とされ、男性をシンボル的に表現したされる石製品は何か。
石棒
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(245) 縄文時代の人骨に見られ、当時の成人になるための通過儀礼と考えられている風習は 何か。
抜歯
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(246) 死者の手足を折り曲げた、 縄文時代に多く見られる埋葬方法を何というか。
屈葬
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(247) 縄文時代前期から中期の大集落遺跡で、 多数の竪穴住居、 大型堀立柱建物、国内最多の土偶の出土、クリ林の管理などで知られるのはの何県か。
青森県
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(247) 縄文時代前期から中期の大集落遺跡で、 多数の竪穴住居、 大型堀立柱建物、国内最多の土偶の出土、クリ林の管理などで知られるのはの何という遺跡か。
三内丸山遺跡
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(248)1877 (明治10)年に日本ではじめて貝塚の発掘調査を行った、アメ リカ人の動物学者はだれか。
モース
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(249) モースが1877年に発掘した遺跡は何か。
大森貝塚
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(250) 縄文時代晩期の東日本を代表する土器は、 青森県の遺跡名をつけてよばれているが、その遺跡名を答えよ。
亀ヶ岡遺跡
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(251) 紀元前4世紀初めころに西日本で成立し、 その後北海道と南西諸島を除く日本列島の大部分の地域に、紀元3世紀ころまで展開した文化を何というか。
弥生文化
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(252) 弥生文化は南西諸島にはおよばず、食料採取文化がつづいていたが、この文化を何というか。
貝塚文化
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(253) 弥生文化は北海道にはおよばず、食料採取文化がつづいていたが、 この文化を何というか。
続縄文文化
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(254) 生産面での弥生文化の特徴は何か。
水稲農耕の普及
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(255) 狩猟・漁労・ 採集が生業の中心となる段階を何というか。 それは、日本においては、旧石器時代・縄文時代にあたる。
採集経済
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(256) 採集経済後の農耕・牧畜が中心となる食料生産段階の経済を何というか。 日本では、それは弥生時代以降にあたる。
生産経済
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(257) 弥生時代初期の水稲耕作は低湿地を利用して行われたが、この初期の水田を何というか。
湿田
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(258) 弥生時代に水田の耕作に使われた木製農具を2つあげよ。
木鍬 木鋤
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(259) 弥生時代の低湿地の水田で、足がしずむのを防ぐために使われた木製農具は何か。
田下駄
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(260) 弥生文化には、直播や田植えも始まっていたが、収穫時に使用された磨製石器を何というか。
石包丁
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(261)弥生時代前期から中期にかけて行われていた、石包丁を用いた稲の刈り取り方法を何というか。
穂首刈り
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(262) 弥生時代に、刈り取った稲は、木臼や竪杵を使って脱穀されたが、収穫物の貯蔵のために建てられたものは何か。
高床倉庫
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(263) 水田に堆肥や青草などを踏み込む道具として使われた木製道具は何か。
大足
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(264) 弥生時代後期になると農業技術が発達し、鉄製農具もあらわれたが、稲の刈り取りに使用された農具は何か。
鉄鎌
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