43.室町時代の外交(1)-日朝関係-

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迂闊 2021年07月18日 カード30 いいね0

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43.室町時代の外交(1)-日朝関係-
  • 鎌倉時代の1325年に★★★寺を修造するための貿易船が★★に派遣された。
    建長寺、元
  • 足利尊氏は、★★のすすめで★★★建立を計画し、その造営費用を調達するための交易船を1342年に★★に派遣した。
    夢窓疎石、天竜寺、元
  • 天竜寺は、★★★の冥福を祈る目的で建立された。
    後醍醐天皇
  • 14世紀後半、中国を統一した国は★★★である。
  • ★年に★★★が明を建国した。
    1368年、朱元璋
  • 明の初代皇帝は★である。明の都は初め南京、のちに北京に移された。
    洪武帝
  • 朝鮮半島や中国沿岸部を襲った海賊集団を★★★という。
    倭寇
  • 倭寇の構成員の少なからぬ部分が、★・★・★の人々によって占められた。
    対馬、壱岐、肥前松浦
  • 明は★★政策をとって、明人の海外渡航や海上貿易を禁止していた。
    海禁政策
  • 明は、我が国に通交と★★★の禁圧を求めてきた。
    倭寇
  • 明は倭寇禁圧のため、南朝の征西将軍★★と交渉した。
    懐良親王
  • 明との通交を開始した人物は★★★である。
    足利義満
  • 明との通交を中止した当時の将軍は★★★である。
    足利義持
  • 足利義満は、★年、明に使者を派遣し、明の皇帝から「日本国王源道義」宛の返書と共に明の★を与えられた。これを受け取ることは、服従を意味した。
    1401年、大統暦
  • 明との国交を開く際に派遣された、遣明船の正使は★★★、副使は★★★であった。
    祖阿、肥富
  • 肥富は★★の商人である。祖阿は僧侶であった。
    博多
  • 足利義満は自らを「★臣源」と称している。
    「日本国王臣源」
  • 日明貿易では、日本は明に臣下の礼をとって貿易を行った。このような形式の貿易を★★★という。
    朝貢貿易
  • 日明貿易では、私貿易船や倭寇と区別するために、明の皇帝が発行した★★★という渡航証明書が使われた。
    勘合
  • 日明貿易では、中国に渡航する日本船は★勘合を、明からの船は★勘合を持参した。
    本字勘合、日字勘合
  • 朝貢形式の日明貿易では、中国上陸後の滞在費や運送費は★★側が負担した。
  • 勘合貿易に携わった商人が上納する★は室町幕府の重要な財源となった。
    抽分銭
  • 日明貿易を中断した将軍は★★★、再開した将軍は★★★である。
    足利義持、足利義教
  • 勘合貿易の実権は、堺商人と結んだ★★★氏や博多商人と結んだ★★★氏に移った。
    細川氏、大内氏
  • 1523年、勘合貿易の主導権を巡って、大内氏と結ぶ★★★商人と、細川氏と結ぶ★★★商人が、中国の港で衝突した。この事件を★★★という。
    寧波の乱
  • 寧波の乱以降の勘合貿易は、★★★氏が独占するようになった。
    大内氏
  • 日明貿易における、日本からの輸出品は★★・★★・★★があげられる。ほかに、武器(槍・鎧など)、工芸品(扇・屏風など)も輸出。
    硫黄、銅、刀剣
  • 日明貿易における、明からの輸入品は★★・★★があげられる。ほかに、織物・陶磁器・書籍といった唐物が輸入された。
    生糸、銅銭
  • 室町時代、外交文書の扱いに携わった★★は、中国や朝鮮との外交をまとめて『善隣国宝記』を編纂した。
    瑞渓周鳳
  • ▲は、興福寺大乗院に所属して勘合貿易に従事した。
    楠葉西忍
よく頑張りました
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