日本史4
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rad
2024年06月04日
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中国の史料ではこの時代の日本列島は()と記されている。()によると、紀元前()世紀ごろ、()の社会は()の国に分かれ、漢が朝鮮半島においた()に定期的に使者を送っていたという。
倭、『漢書』地理志、1、100余り、楽浪郡
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漢書地理志を書いたのは?何の時代?
班固、後漢
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倭の王たちは、中国皇帝の後援を受け、()ことを目的として遣使していた。
他の小国より優位にたつ
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()には、()年に倭の()の王が()の都である()に遺使して()から印を与えられ、()年にも倭の王たちが共同で遣使したことが記されている。
『後漢書』東夷伝、57、奴国、後漢、洛陽、光武帝、107
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後漢書東夷伝を書いたのは?何時代?
宋の范曄、晋の司馬彪
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江戸時代に()県の()で発見された「()」の光武が、光武帝から与えられた印に該当すると考えられている。
福岡、志賀島、漢倭奴国王
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中国では()年に後漢が滅び、()()()が分立する()となった。()を領有した()は朝鮮半島に勢力をのばし、3世紀前半に楽浪郡の南部を割いて()をおいた
220、魏、呉、蜀、三国時代、華北、魏、帯方郡
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()には、倭の約30の国が中国に遣使していたことや、このころの日本列島の状況が記されている。
『魏志』倭人伝
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魏志倭人伝書いた人?時代
陳寿、西晋
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それによると、倭では2世紀なかごろから戦乱が続いた→()のち、諸国は()にたけて()をもつ()を共同して女王にたて、連合体をつくった。
倭国大乱、呪術、宗教的権威、卑弥呼
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卑弥呼は()や()で守りを固めた居館の奥深くに住み、弟が統治を補佐していたという。その社会には()や()、()などの制度があり、各地で市もひら
かれていた。
物見やぐら、城柵、身分の差、租税、刑罰
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また。()に()という役人をおき、ここを外交の窓口とした。卑弥呼は()年に魏に遣使して「()」の称号を与えられた
伊都国、一大率、239、親魏倭王
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対立する()との戦争では、魏の皇帝から旗や文書を送られるなど、皇帝の権威を利用していたことがうかがえる。中国王朝の皇帝が周辺諸国の王に正式に官号・位を与えて従属的な地位におくことを()という。
狗奴国、冊封
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卑弥呼が亡くなると、大型の墳墓が築かれそこに葬られた。その後、男がたったが内乱がおこり、卑弥呼の一族の()が女王となることで乱はおさまった。
壱与
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壱与も魏に遣使したが、3世紀末以降は中国の()が続き,約160年間倭から中国の王朝への遺使の史料はみえなくなる。
政治的混乱
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邪馬台国の九州説だったら
邪馬台国とヤマト政権は()したまたは邪馬台国が()したことになる。
同時併存、移動
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近畿説だったら
()世紀には連合ができていて、邪馬台国とヤマト政権が()を待つことになる。
3、連続性
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小国の分立と邪馬台国