-
1600年、徳川家康が( )で石田三成らの西軍を破った。
関ヶ原の戦い
-
関ヶ原の戦いの東軍についた主な人物は、徳川家康・( )・( )・( )である。
五十音順に
加藤清正 黒田長政 福島正則
-
関ヶ原の戦いの西軍についた主な人物は、石田三成・( )・( )・( )である。
五十音順に
宇喜多秀家 小西行長 毛利輝元
-
関ヶ原の戦いで敗れた西軍の大名らには( )や( )といった処罰がなされた。
改易 減封
-
1603年、家康は( )となり、( )を開いた。
征夷大将軍 江戸幕府
-
1605年、家康は将軍職を子の徳川( )に譲った。
秀忠
-
強力な領主権をもつ将軍と大名が土地と人民を統治する支配体制
幕藩体制
「幕」府と「藩」による支配
-
江戸幕府は3代将軍徳川( )の死後、4代将軍に徳川( )が就任し政治を行った。
家光 家綱
-
家綱の在職時、家光の弟で会津藩主の( )が補佐を務めた。
保科正之
-
1651年、兵学者の( )・牢人の( )らが幕府打倒を計画したが、失敗に終わった。
由井正雪 丸橋忠弥
由比正雪でも可
-
兵学者の由比正雪らが幕府打倒をたくらんだ事件
別名「慶安の変」
由井正雪の乱
由比正雪の乱でも可
-
跡継ぎのいない武家が死に臨み、急に養子を定めること
末期養子
1651年、末期養子の禁止が緩和された。
-
江戸幕府が武家の行動を統制するために定めた法令
武家諸法度
-
1663年、家綱が発布した武家諸法度
寛文令
-
家綱は1663年に( )を禁止し、1665年に大名の( )を廃止した。
殉死 人質
-
日本は貿易相手を制限し、来航国を( )と当時の中国である( )のみとした。
オランダ 清
-
日本は貿易港を( )のみとした。
長崎
-
江戸時代の貿易では、主な輸入品は( )、輸出品は( )であった。
生糸 銀
-
オランダ船が入港する度、( )が長崎奉行を通じて幕府に海外の情報源となる( )を提出していた。
オランダ商館長 オランダ風説書
-
1609年、朝鮮王朝と対馬藩主宗氏の間で結ばれた通商条約
己酉約条
豊臣秀吉の朝鮮出兵以降関係が悪化しており、対馬側に不利な内容が盛り込まれた
-
釜山に設置され、朝鮮王朝が日本使節の接待や貿易管理等に使われた居留地
倭館
-
対馬藩主の( )氏は朝鮮との貿易を独占した。
宗
-
対馬藩に仕え、文教・朝鮮との外交を担当した朱子学者
雨森芳洲
-
雨森芳洲は( )の門下の朱子学者であった。
木下順庵
-
朝鮮王朝は徳川将軍の代替わりごとに、日本に( )を派遣した。
朝鮮通信使
将軍就任の慶賀を目的とした
-
朝鮮通信使は過去12回来日し、4回目の来日からは( )と呼ばれた。
通信使
-
1609年、薩摩の島津家久が( )を征服した。
琉球王国
-
薩摩藩は琉球王国に対し( )・刀狩を行い農村支配を確立し、通商交易権も掌握した。
検地
-
薩摩藩は( )氏を琉球王国の王位につかせた。
尚
-
薩摩藩は琉球王国に独立した王国の形態をとらせ、( )等を上納させた。
砂糖
清との朝貢貿易も継続させ、中国の産物も送らせた
-
琉球王国は国王の代替わりごとに( )を江戸幕府に派遣した。
謝恩使
-
琉球王国は江戸幕府の将軍の代替わりごとに( )を江戸幕府に派遣した。
慶賀使
-
1604年、( )氏がアイヌとの交易独占権を家康から保証され、藩制を敷いた。
蝦夷地との関係
松前
-
アイヌとの商場での交易権を知行(職務)として与える制度
商場知行制
これにより松前氏との主従関係が結ばれていた
-
1669年、アイヌの首長( )が( )と対立し蜂起した。
シャクシャイン 松前藩
不平等な交易に対する不満が原因
-
1669年、アイヌの首長らと松前藩の間で起こった戦い
シャクシャインの戦い
-
松前藩は( )藩の協力の元でシャクシャインの戦いに勝利した。
津軽
アイヌは全面的に松前藩に服従させられた
-
18世紀前半までに、松前藩が多くの商場の交易や漁業生産を和人に請け負わせ、税を上納させた制度
和人→アイヌから見た日本人
場所請負制度
蝦夷地の交易権を和人商人に委託した
-