世界史 第13章 主権国家体制の形成と地球規模での交易の拡大 #2

砂利 2026年02月21日 カード55 いいね0

2.オランダの繁栄と英仏の国家形成
三学期期末範囲 #世界史 #社会 #歴史

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世界史 第13章 主権国家体制の形成と地球規模での交易の拡大 #2
  • スペインの属領であったネーデルラントは古くから何業や商業が栄え、南部のフランドル地方のどこは国際商業の中心地となっていたか。
    毛織物業、アントウェルペン
  • オランダ独立戦争は誰を指導者としてどのように始まったか。
    16世紀後半にスペインのフェリペ2世がネーデルラントにカトリックを強制し、都市に重税を課したため、貴族が自治権を求めて反抗し、これにカルヴァン派の商工業者が加わってオラニエ公ウィレムを指導者にオランダ独立戦争が始まった。
  • オランダ独立戦争で戦っていたホラント州を中心とする北部7州は何同盟を結成して、イギリスの支援を受けて戦い続けたか。 カトリック勢力の強いフランドル地方の南部10州(のちのベルギー)は途中で脱落
    ユトレヒト同盟
  • 1581年に独立運動の指導者の誰を統領とする何国を成立させたか。
    オラニエ公ウィレムを統領とするネーデルラント連邦共和国 ベルギーとの国境付近に在るアントウェルペンは荒廃していった
  • ネーデルラント連邦共和国の住民は主に何であったか。
    ゴイセン(勤勉禁欲のカルヴァン派)、ユダヤ人 17世紀といえば、オランダ
  • オランダの海洋進出を擁護して『海洋自由論』を著した国際政治学者は誰か。
    グロティウス
  • 江戸時代に来航が許された唯一の西洋の国であるオランダの何は、鎖国下の日本の貴重な情報源となったか。
    和蘭風説書
  • アントウェルペンに代わって国際商業と金融の中心として繁栄し、独自の市民文化が花開いたオランダの首都はどこか。
    アムステルダム
  • イギリスでは、エリザベス1世の没後にスコットランド王がイングランド王に迎えられ何朝が開かれたか。
    ステュアート朝
  • ステュアート朝の最初の国王である誰は、何説を唱えて議会を軽視し、専制政治を実施したか。
    国王ジェームズ1世は、王権神授説を唱えて絶対王政を敷いた。 ジェチャチャジェメリウィアンの”ジェ”
  • ジェームズ1世は英国国教会との結び付きを強めてピューリタンを圧迫したが、その次の王である誰も専制政治を続けたため、議会は1628年に何を提出したか。
    チャールズ1世に対し、権利請願で不当な課税や拘束をしないことなどを要求したが、王は議会軽視の政治を続けた。
  • チャールズ1世は1640年にスコットランド反乱鎮圧の戦費調達のために議会を二度開いたがこれをそれぞれなんというか。
    短期議会→長期議会 短期議会:3週間で解散、長期議会:クロムウェルによる解散まで13年間続いた
  • 1640年の短期議会と長期議会で国王と議会が激しく対立することとなり、1642年に何派と何派の間で内乱が始まったか、またこの内乱をなんというか。
    王党派と議会派、ピューリタン革命
  • ピューリタン革命の初めは王党派が優勢で、議会派内では早期和平を唱える何派と徹底抗戦を主張する何派とに分かれたか。
    長老派と独立派
  • 独立派の誰はピューリタンからなる何を中核に議会派の軍隊を編成して、王党派軍を破ったか。
    クロムウェルが、ピューリタンのヨーマン中心で構成された鉄騎隊を編成して王党派を破った。
  • 鉄騎隊が王党派軍に勝ったのち、次いでクロムウェルは何派と結んで議会から何派を追放して、1649年に裁判の末に国王を処刑して何政を樹立したか。
    水平派と結んで、議会から長老派を追放して、国王を処刑して共和政を樹立した
  • 共和政を樹立させた後、クロムウェルは王党派の強いどこと長老派の拠点のどこを征服したか、またこの間、イギリス共和国はオランダの中継貿易に打撃を与えるために1651年に何を定めたか。
    アイルランドスコットランドを征服し、航海法を定めてオランダと戦った。
  • イギリス共和国は1651年に航海法を定めてオランダと戦ったがこの戦いをなんというか。
    第1次イギリス・オランダ(英蘭)戦争
  • クロムウェルは1653年に何の位に就き、軍事独裁を強めたので国民の不満は高まったか、またクロムウェルの死後、先王の子である誰を王に迎えて王政復古がなされたか。
    護国卿となり軍事独裁を強めた。1660年にフランスに居たチャールズ2世を王に迎えた。
  • チャールズ2世と、それに続くジェームズ2世は両方ともどのような宗教政策をとったか。
    ふたりとも親カトリック政策をとってカトリックの復活を図った。
  • チャールズ2世の親カトリック政策に反発した国教会を重視する議会が制定した2つの法のうち、非国教徒が公職に就くことを禁じた法律をなんというか。 1673年
    審査法
  • チャールズ2世の親カトリック政策に反発した国教会を重視する議会が制定した2つの法のうち、不当な逮捕や投獄を禁止する法律をなんというか。 1679年
    人身保護法
  • ジェームズ2世もカトリックの復活を図ったので、1688年に議会は何をしたか。
    1688年、トーリー党ホイッグ党が、王の娘メアリとその夫オランダ統領ウィレムに援助を求めた。
  • イギリス議会に援助を求められたウィレムが軍を率いてイギリスに上陸すると、ジェームズ2世はフランスに亡命し、無血の何が成功したか。
    名誉革命
  • ウィレム夫妻は議会が提出した国教会を中心とした内容の「権利宣言」を承認して、ともに王位に就き、何という名で即位したか、また「権利宣言」を何として制定したか。
    ウィリアム3世メアリ2世が即位し、権利宣言を承認・法文化して権利章典を制定した。 権利章典はプロテスタントのためのものであった、権利章典の制定で立憲王政が確立された
  • メアリの妹の誰が即位して、どこを合併して、何王国を成立させたか。 アン女王は18世紀の始まり
    メアリの妹アンが即位し、スコットランドを合併して、グレートブリテン王国が成立 1707年
  • アン女王の死後、ドイツから誰を迎えて何朝を開いたか。
    ジョージ1世が即位し、ハノーヴァー朝が始まった
  • ドイツに滞在することが多かった王に代わって国政をとるようになった最初の首相である、何党の誰によって、内閣が国王ではなく議会に対して責任を追う何制が成立したか。
    ホイッグ党ウォルポールのもとで、責任内閣制が成立した。
  • 責任内閣制が成立したことで、なんという伝統が誕生し、議会政治は完成したか。
    「王は君臨すれども統治せず」
  • フランスでは16世紀後半、カルヴァン派とカトリック教徒が対立し、これに大貴族間での勢力争いが絡んで内乱が勃発したが、この内乱をなんというか。
    ユグノー戦争 フランスでのカルヴァン派の呼称がユグノー、ユグノーの弾圧をきっかけに内乱が勃発した
  • ユグノー戦争中に、カトリック派がユグノー派を襲って数千人を虐殺したがこれをなんというか。
    サン・バルテルミの虐殺
  • ユグノー戦争の最中、何朝は断絶し、ユグノーの指導者である誰が即位して何朝が成立したか。
    ヴァロワ朝は1589年に断絶し、ユグノーの指導者アンリ4世ブルボン朝を開いた。
  • アンリ4世は国家の統一と宗教対立の収束のために何をしたか。
    アンリ4世は自らカトリックに改宗した
  • アンリ4世が何を発布したことでユグノー戦争は終結したか。
    ナントの王令 1598年
  • ナントの王令の内容を答えよ。
    個人の信仰の自由を認める。 アウクスブルクの宗教和議では個人ではなく諸侯にのみ自由があった
  • 17世紀前半のルイ13世の時代では宰相の誰が補佐をしていたか。
    リシュリュー
  • ルイ13世の時代になると、対外的にはハプスブルク家に対抗するために何戦争に介入したか。
    三十年戦争
  • ルイ14世の幼時には宰相の誰がリシュリューの政策を受け継いだか。 ルイ14世は17世紀後半
    マザラン 中央集権化を進めた
  • 宰相マザランの執政時に、中央集権化に反対する何や貴族、民衆は何を起こすが、鎮圧されるか。 1648〜53年(17世紀半ば)
    高等法院、フロンドの乱
  • マザランの死後、ルイ14世の親政が始まったが、ルイ14世は何王と呼ばれていたか、また彼はフランスの強大な国力を示すために何を建てたか。
    「太陽王」と呼ばれていた、豪華なヴェルサイユ宮殿を建てた
  • ルイ14世は誰の何説を唱えて絶対王政を敷いたか、また政治体制について何と言ったか。
    ボシュエの王権神授説を唱えて絶対王政を敷き、「朕は国家なり」と言った。
  • ルイ14世の親政では財務長官に誰を登用して徹底した何主義政策を推進したか。
    コルベールを登用して重商主義 重商主義政策→国家が金儲けする
  • ルイ14世による数々の侵略戦争のうち、英・蘭・墺と戦ったのは何戦争か。
    スペイン継承戦争 1701〜13年
  • スペイン継承戦争の結果は何条約で決められたか、またフランスはどのような結果に終わったか。
    ユトレヒト条約で孫であるフェリペ5世のスペイン王位を承認させるが、英に植民地の一部を奪われた。また、ラシュタット条約でも多くの領土を失うこととなった。
  • ユトレヒト条約によってスペインからイギリスに渡った領土の名前とそれによりイギリスの何が進んだか答えよ。
    イギリスはスペインからジブラルタル、ミノルカ島を獲得、これによりイギリスは地中海へ進出
  • ラシュタット条約によってスペインからオーストリア(ハプスブルク家)に渡った領土を答えよ。
    南ネーデルラント、ナポリ、ミラノ
  • ルイ14世が何をしたことによって、ユグノーの商工業者が退去し、フランス経済に打撃を与えたのか。
    ナントの王令廃止
  • ルイ14世は数々のイギリスとの対立で敗北し領土を失っていったが、その敗北の原因はイギリスの何によるものであるか。
    17世紀末にイギリスはイングランド銀行を設立したので、国債発行による安定した戦債供給をすることができ、国内の財政と経済が安定していたから。
  • 1618年、ハプスブルク家の旧教化政策に反旗を翻した誰によって、何戦争が勃発したか。
    ベーメンのプロテスタントによって、三十年戦争が勃発 1618〜48年
  • 三十年戦争でプロテスタント側についたのは主にどこか、3つ答えよ。
    デンマーク王、スウェーデン王グスタフ・アドルフ、フランス このときのフランスはルイ13世
  • 三十年戦争においてプロテスタント支援のため、デンマーク王やスウェーデン王グスタフ・アドルフはドイツに侵入し、傭兵隊長の誰が率いる何軍と戦ったか。
    傭兵隊長ヴァレンシュタインが率いる皇帝軍と戦った これにより宗教戦争から欧州の覇権を巡る国際戦争に発展
  • 三十年戦争の終結は何条約の締結によってなされたか。
    ウェストファリア条約 1648年
  • ウェストファリア条約の主な内容を答えよ。
    アウクスブルクの宗教和議の再確認によってドイツではルター派のほかカルヴァン派も公認、スイスとオランダの独立が国際的に承認されてドイツ諸侯の独立性も強まる、フランスとスウェーデンが領土を獲得
  • ウェストファリア条約の締結後、ヨーロッパ世界はどうなったか、また三十年戦争中は何が横行したか。
    神聖ローマ帝国は有名無実化して欧州では主権国家体制が固まった、戦争中は傭兵隊の略奪で戦場となったドイツは荒廃
  • グロティウスは三十年戦争中に何という著書で、戦争の防止や緩和について著したか。
    『戦争と平和の法』
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