-
1494年に仏軍のイタリア侵入より始まったイタリア戦争であるが、この戦争はどことどこの争いであるか。
ハプスブルク家とフランスのヴァロワ家
-
イタリア戦争は何を中心とする新しい国際秩序のきっかけになったか。
主権国家
-
イタリア戦争は1559年の何条約で終結したか。
カトー・カンブレジ条約
-
1519年にハプスブルク家出身のスペイン王の誰は、フランス王の誰を押さえて神聖ローマ皇帝に選ばれ、なんという名になったか。
カルロス1世がフランソワ1世を押さえて皇帝カール5世になった
-
敵の敵は味方であるというマキャベリズムを外交に取り入れた仏王フランソワ1世は、対立していた神聖ローマ帝国が敵対していたある国と同盟を結んだがそれはどこか。
オスマン帝国(スレイマン1世)
-
イタリア戦争に関わった国々は一国が強大になることを阻むために諸国が同盟を結んで対抗したが、このような国際関係のありかたをなんというか。
勢力均衡
-
1517年にドイツの神学者マルティン・ルターは①何を発表して、②誰が聖ピエトロ大聖堂改修費の調達の為に認めた③何の販売を批判したか。
①95か条の論題 ②教皇レオ10世 ③贖宥状
-
ルターの考えが書かれた彼の主著である何は活版印刷や版画で大きな影響を世間に与えたか。
『キリスト者の自由』
-
皇帝カール5世はルターを何議会に召喚し自説の撤回を要求したか。
1521年
ヴォルムスの帝国議会
-
ヴォルムスの帝国議会にて自説の撤回を拒否したルターを誰が保護したか、またルターはこの時自説の主張のためにどのような文化事業を行ったか。
ザクセン選帝侯フリードリヒ、『新約聖書』のドイツ語訳
-
ルターの教えに触発された誰を指導者とする大規模な西南ドイツ農民の一揆をなんというか。
トマス・ミュンツァー、ドイツ農民戦争
過去の宗教改革家と違い、ルターは農民ではなく国王・諸侯を味方にしていったので宗教改革が成功した→ルターはこの一揆の鎮圧を主張
-
イタリア戦争やオスマン帝国の圧迫に対処するためにカール5世はルター派をどうしたか。
ドイツ諸侯の協力を得ようと、一時ルター派を認めた。
-
一時ルター派を認めたものの、危機が遠ざかると再び禁止したのでルター派諸侯や都市はこれに抗議したがこのことは何の起源となったか。
プロテスタントの起源
プロテスタントとは、抗議するもの、という意
-
ルター派を再び禁止した皇帝に対抗するためにルター派の諸侯や都市が1530年に結成した同盟をなんというか。
シュマルカルデン同盟
-
皇帝カール5世とルター派の諸侯や都市との間で妥協が成立したのはいつの何でか。
1555年のアウクスブルクの宗教和議
-
ドイツの宗教改革は主に何と結びついて進展したか。
領邦君主である諸侯
-
アウクスブルクの宗教和議の内容を説明せよ。
ルター派は公認されたが、個人の信仰の自由やカルヴァン派は認められなかった。(宗派の選択の自由は諸侯のみ)ルター派の地域では、君主が宗教を監督する領邦教会制が成立
領邦教会制の成立によって君主の支配権が強化
-
チューリヒの誰は、贖宥状の販売を批判したか。
ツヴィングリ
カトリック諸州軍と戦って戦死した
-
フランス人のカルヴァンは何を著してどこを拠点にスイスで宗教改革運動を始めたか。
『キリスト教綱要』を著して、ジュネーヴを拠点にした
-
カルヴァンは司教制に代えて牧師と信徒代表からなる何制を導入して、一種の神政政治を行ったか。
長老制
司教制は大きな組織、長老制は小さな国家で排他的
-
カルヴァンは、人が救われるか否かは予め神の意志によって定められていると唱えたが、この説を特になんというか。
予定説
-
カルヴァンは予定説を唱えたがルター派は何説を唱えたか。
信じるだけで救われるという考えである信仰義認説
-
カルヴァンの教えとして予定説の他に何と何に努めるべきだという教えがあるか。
勤勉と禁欲を重視→めっちゃ真面目になろうや
他にも職業上の成功(お金儲けしてもええやん)を肯定したので商工業の盛んな西欧にこの教えが広まる
-
カルヴァン派の各地域での呼称について、①フランス ②イングランド ③スコットランド ④オランダ で何と呼ばれているかそれぞれ答えよ。
①仏:ユグノー ②Eng:ピューリタン ③Scot:プレスビテリアン ④蘭:ゴイセン
-
イギリスの宗教改革は何主導で実施され、発端は誰の離婚問題だったか。
国家主導で実施され、国王ヘンリ8世が発端
-
ヘンリ8世は1534年に議会の協賛を得て何を定め、国王を最高の長とするイギリス国教会を成立さえ、教皇と絶縁したか。
国王至上法によって国王を最高の長とするイギリス国教会が成立した
-
ヘンリ8世が国教会の成立の際にとった政策は社会変動を起こしたが、王はどのようなことを行いそしてそれが何に繋がったか述べよ。
修道院を解散して土地や財産を没収し、それらを国民に払い下げた。これは地主階級のジェントリの勃興に繋がった。
-
イギリス国教会の教えの特徴を簡潔に述べよ。
イギリス国教会は、プロテスタントの教義を採用しながらも、教会組織や宗教儀式の面ではカトリック的な要素を残している。
-
囲い込み(第一次囲い込み)とはどのようなものであったか述べよ。
テューダー朝期の非合法・暴力的な土地の「囲い込み(エンクロージャー)」で、国王至上法によって勢力を拡大したジェントリたちが農民の畑や共有地を柵で囲んで奪った。トマス・モアが『ユートピア』にて「羊が人を食う」と表現したように、イギリスの主要産業である羊毛生産のために、牧羊地に変えられた。
これにより土地を失った農民はホームレス(浮浪者)になったり鉱山や都市へ出て稼がなければならなくなった
-
ヘンリ8世の国王至上法が出たあと、誰がスペインのフェリペ2世と結婚して何を復活させたか。
メアリ1世がカトリックを復活させた。
-
メアリ1世の次の誰は、1559年に何法でプロテスタントの国教会を確立したか。
エリザベス1世が信仰統一法(統一法)を定めてイギリス国教会を確立した。
-
エリザベス1世の政治のうち内政について、何業を保護したか、また第一次囲い込みにより増加した貧民の救済のために何法を制定したか。
毛織物業を保護し、救貧法を制定した。
救貧法とはホームレス対策の法律、エリザベス1世はフェリペ2世と対立していた
-
エリザベス1世の政治のうち外政について、誰や誰に私掠特許状を与えてスペインの船や商館を攻撃させたか。
ホーキンズやドレーク
-
エリザベス1世の政治のうち外政について、どこの独立を支援し、どこの何からの襲撃を受けたか。
オランダの独立を支援→スペインの無敵艦隊(アルマダ)の来襲を受ける
-
カトリック教会による態勢の立て直しをなんというか。
対立宗教改革
-
1545年から1563年にかけて開催された、教皇の至上権(教皇至上主義)やカトリックの教義の再確認を行った会議をなんというか、またそこで何が作成されたか。
トレント公会議、禁書目録の作成
-
1534年に設立されたイエズス会の設立の中心となったスペイン貴族は誰か。
イグナティウス・ロヨラ
-
1549年、イエズス会の誰は日本に来航してカトリックを布教したか。
フランシスコ・ザビエル(シャヴィエル)
他にも明で布教したマテオ・リッチなど
-
スペインはアメリカ大陸の植民地、ネーデルラント、ナポリ、シチリアなどを領有していたことから何と呼ばれていたか答えよ。
「太陽の沈まぬ国」
-
カルロス1世の退位後、ハプスブルク家はスペインとオーストリアの両家に分かれたが、その後スペイン王を継いだのは誰か。
16世紀後半
フェリペ2世
-
カトリック世界の擁護者を自任するフェリペ2世は、イスラーム勢力に立ち向かい、1571年にはオスマン帝国の海軍を何の海戦で破って、威信を高めたか。
レパント沖の海戦
息子のフェリペ2世がオスマン帝国に勝利している一方で、父であるカルロス1世はプレヴェザの海戦で敗北していた
-
フェリペ2世は対抗宗教改革の先頭に立ち、ヨーロッパ各地の政治に干渉したこともあって、豊かな属領であったどこで新教徒の反乱を招いたか。
ネーデルラント
-
1588年にはスペインの誇る何がイギリス海軍に敗れたか、またそれは主に誰の活躍によるものであったか。
ドレークらが活躍したイギリスに無敵艦隊(アルマダ)が敗れた
これとネーデルラントでの反乱などもあり、17世紀になると国力を失っていった
-
1.主権国家群の形成と宗教改革
三学期期末範囲 #世界史 #社会 #歴史